2007年度 春の研究例会

概要

今年は、午前中に口頭発表、午後には第一線でご活躍の研究者の中から、とくに関西の若手研究者2名を選び、相互行為研究に関する発表+ディスカッションを催します。ぜひとも多くのみなさんに議論に参加していただければと思う次第です。(企画担当世話人:細馬宏通・鈴木佳奈)

■日時 2008年4月5日 土曜 9時30分~17時30分
■会場 京都大学百周年時計台記念館国際交流ホール:[ウェブサイト/地図]
参加費 会員* 1000円/一般 1500円
*入会申込については →入会のご案内 をご参照ください。
午前の部 (9時30分~12時30分)
午後の部 (13時30分~17時30分)

午前の部:研究発表(司会:細馬 宏通)

10:00 – 11:15

鶴田幸恵(奈良女子大学)「性別カテゴリーのオムニレリバンス問題──トランスジェンダーへのインタビューデータの分析から」(仮題)

報告要旨:性別カテゴリーがオムニレリヴァントか否かという問題は、D. Zimmerman & C. West(1975)への、E. Shegloff(1982)、M. Linch(2001)による批判から始まり、また批判的談話分析と会話分析を手法とする人びとの間で交わされた論争として、有名である。その論争の端緒は、Zimmerman & West の有名な研究である。そこでは、会話のなかに現われる男女間の偏向を見ることで、男女の権力差を示すことが試みられていた(Zimmerman & West 1975)。例えば、「割り込み」の数を数えることによって、男性は女性の話に割り込みやすいという具合である。その際に、会話の参与者が男として、あるいは女として行為していることは、その人が女/男に見えることから、所与とされている。同様の研究が日本においてもなされた(江原・好井・山崎 1984)。

しかし、参与者が女に「見える」ことと、その人が女「として」振舞っているかどうかは、異なることである。したがって、性別カテゴリー使用の記述は、相互行為における参与者自身の志向性に基づいている必要があり、またそれによって、相互行為の詳細がどのように導かれているかが示されなくてはならないという、これらの研究に対する批判(Schegloff 1987; Lynch 2001)がなされることになった(まとめとして上谷2001; 小宮2002b参照)。

他方、また別の角度からこの問題が浮上している。会話分析を分析手法とする Schegloff と、批判的談話分析を分析手法としようとする人びとの間で交わされた論争(Schegloff 1997; Wetherell 1998; Schegloff 1998; Billing 1999a; Schegloff 1999a; Billing 1999b; Schegloff 1999b)である。ここで争われているのは、分析者がおこなう記述のなかに、分析者の前提を持ち込まないことの可能性であり、また持ち込むことの是非である(まとめとして小宮2005参照)。

Billigは、いくら会話分析者が「参与者の志向にもとづく」と言ったとしても、彼らは実際には分析者としての自分の前提を持ち込んでいるのだと主張する。この立場からすれば、どのカテゴリーによって参与者を特徴づけるのかということも、結局のところ、分析者の判断によってなされるほかない、ということになるだろう。とりわけ、参与者によって「女」とか「学生」とかいう、カテゴリーを示す言葉が用いられていなければ、そう言われるに違いない。

先行研究のこうした流れのなかには、ふたつの考え方が現れている。すなわち一方で、性別は外見から明らかだということを所与にして、分析者はある行為を性別カテゴリーによって説明することが可能であるという考え方であり、他方で、そもそもどのようなカテゴリー化も分析者によるものでしかありえない、という考え方である。鶴田(2006)では、実際の相互行為データにもとづきながら、言葉による明示的なカテゴリー使用が行われていないにもかかわらず、性別カテゴリー化が行われていることが、他ならぬ参与者たち自身によって理解されているということを示すことで、こうした考え方とは異なった道筋を示した。今回の報告は、以上のようなオムニレリヴァンスの一連の論争に対する、また別の仕方によっての回答である。具体的には、1997年から行っている、トランスジェンダー・性同一性障害コミュニティでのフィールドワークによって得たインタビューデータを用い、私たちが「焦点の定まらない相互行為」の水準における秩序を生きていることに着目する。それによって、性別が「見てわかる」ということが、単に「わかる」というだけでなく、「わからなくてはならない」という規範性をおびたものであるということに、性別カテゴリーの特異性が現れているということについて述べていく。

11:15 – 12:30

細馬宏通(滋賀県立大学)「身体動作を含む会話データにおけるデータ セッションの可能性」

報告要旨:会話分析には「データセッション」と呼ばれる試みがある。データセッションでは、参加者の一人が詳細な会話のトランスクリプトを提供し、それに沿って参加者どうしが一行ずつ読み進めながら、発語連鎖に含まれているさまざまな会話装置について議論する。提供者は、自分が注目している箇所(ターゲットライン)をあらかじめ設定して、そこに向かって読み進めるが、途中でおもしろい現象がみつかれば、その都度時間をかけてもかまわない。

今回は、この「データセッション」にあたるものを、ジェスチャー研究で行うことを試みる。複数の参加者がお互いの観察眼を活かし、事例に含まれる、ひとつひとつのストロークのもたらす相互作用を、より詳細に広いあげることができるのではないか、という目論見である。

ジェスチャー分析では、発話とジェスチャーのタイミング、参与者内・参与者間のジェスチャー連鎖が見所となる。データを語りあうためには、身体動作をコーディングするためのシンプルな方法が必要となる。Kendon のジェスチャー単位、ジェスチャー・フェーズの概念が有用となるだろう。

視線や身体動作に注目するため、ひとつの発話に含まれる情報は膨大になる。短いやりとりだけでも、何時間にも及ぶディスカッションが可能だろう。今回は短い時間用に、簡単なデータを用意する。フロアからの積極的な参加を歓迎したい。

12:30 – 13:30

休憩

午後の部

13:30 – 15:15

川島 理恵(埼玉大学/JSPS 学振特別研究員)「産婦人科における医療実践の会話分析的検討─医療と日常の交差する場所─」

報告要旨:医療現場において、医療者と患者は様々な「交渉」を行う。その交渉の一つの局面は、彼らが医師の医療に関する専門性と患者の生活世界の違いを調整するという点である。ある一方で、医師は、専門とする特殊な領域の中で学び、経験を積んでいく。その一方で、患者は、日常世界の中で、それぞれ日々の経験を形作っている。産婦人科医療では、医師と患者が患者のプライベートな事柄に触れることが多い。そのため、医療と日常世界が重なり合う機会がよく見られる。本研究では、会話分析を使うことで、日本の産婦人科医療の現場において、医師と患者がそれぞれの世界(医療と日常世界)の交差する局面で、どのようにかかわり合っているのかを明らかにする。具体的には、特に産婦人科におけるセルフケアに関する話し合いの展開に注目して分析を進める.

15:30 – 17:15

増田 将伸(甲子園大学)「「どう」系質問‐応答連鎖における相互行為の諸相」

報告要旨:質問は、コミュニケーションにおいて本質的な意義を持つ発話行為であると言える。その理由として少なくとも、

  1. 質問の形で言語的な反応を要求することで、相手を会話に引き入れられる
  2. 質問者が何を知っていて何を知らないかが質問ターンのデザインに呈示されるので、コミュニケーションの基盤となる会話参与者
    の知識状態が質問によって顕在化する
  3. 質問によって新しい情報を相手から会話の場に引き出すことができ、会話に新たな展開がもたらされる

という3点が挙げられる。

本発表では、質問‐応答連鎖を素材としてコミュニケーションを分析するわけであるが、『日本語話し言葉コーパス』の対話例中の「どう」系質問‐応答連鎖について分析を行う。
「どう」系質問(どう、どんな、どのような等)は、前段の3点に即して述べると

  1. しばしば会話の冒頭に用いられてコミュニケーションを開始する働きを持つ
  2. 字句上は open questions の最たるものであるので、会話参与者の知識状態が質問ターンのデザインに呈示されるパターンが様々である
  3. それゆえ、会話の展開の中で様々な相互行為が見られる

という点で、コミュニケーションの諸相をかいま見せてくれる興味深い素材である。分析の現状は堅固な結論が得られる域には遠いが、発表ではいくつかのパターンのデータを提示しながら、様々な可能性を検討したい。