2006年度 研究大会

概要

日時 2006年10月30日(月)(受付開始9:10)
会場 会場:龍谷大学深草校舎5号館502教室 [案内図](京都市伏見区深草塚本町67)

特別講演……9:35~11:50

林礼子(甲南女子大学)「記号がジェンダーの意味を持つ瞬間を捉える──批判談話分析のためのエスノメソドロジー」

コメンテーター:片田孫 朝日(京都大学)・串田 秀也(大阪教育大学)

報告要旨

批判談話分析は、記号(言語を含む)の意味とその使用の分析を通して、社会学や政治学あるいは文化研究が指摘する諸問題に取り組む。それは、記号が社会の現象と最も根源的に関わる要素であり、社会の成員は記号を知識資源にして社会の制度を構築すると考えるからである。

本発表では、メタファー表現 (figurative talk) と社会的要素であるジェンダーを対象に、社会記号論の流れを汲む批判談話分析を試み、記号の概念的な意味はいかにして現実の社会行為となっていくか、つまり、記号の持つ「原初的」意味はいかにして社会的意味を持つのかという問いについて考える。そして、記号への意味付けの行為における社会的バイアスについて論じる。

具体的には、テレビの教養番組において専門家と司会者が共構築するメタファー表現のなかに出現するシロ色に注目し、(1)と(2)を示す。そして、社会記号論的批判談話研究のアプローチの方法と、エスノメソドロジーの視点から概念や理論を導く可能性と必要性について言及する。

  1. 記号の一つである「シロ」色の意味が会話のなかでジェンダーと結びつけられると、その意味は、フロアのシステムの制約のもとで、ジェンダーバイアスを持つディスコースとしての「白」色の意味になり、会話運営のコンテクストになる。
  2. 記号の意味がディスコースの意味を持つ瞬間は、やり取りの特定の場においてであり、その意味が現実の行為となるのは、会話者がその場での意味解釈に必要な状況を生みだす時である。

エスノメソドロジー・会話分析研究会総会……12:30~13:10

※ 恐縮ですが、会員の方のみ審議にご参加下さい。

公募報告(1)……13:10~14:25

戸江 哲理(京都大学)「トラブルを分かち合う──トラブルの共成員性の会話分析──」

報告要旨:

私達はふだん、自分のことは自分にしか分からないし、他人のことはやはり本人にしか分からないと感じたりはしないだろうか。だが他方で、私達は現に、他の人と自分の悩みごとやトラブルを分かち合うということが出来てしまっている。考えてみれば、これは不思議なことではないだろうか。本報告では、このテーマに、そのような行為そのもの、つまり会話を分析することによって、その内実に迫りたい。

ここでは、この作業を、まず(1)トラブルの共成員性(co-membership)の達成(=分かち合い)の手続き、つぎに変則事例分析として(2)いったん可視化された共成員性が疑問に付される場合の分析、最後に、そこから浮かび上がる(3)「トラブルの」共成員性固有の特質の解明の3点に絞って簡潔に説明したい。

  1. トラブルの共成員性が参与者たちに相互可視化する手続きとして、既に指摘されている、I 最初のトラブル語りを第1の物語とする、第2の物語による立証に加え、II 参与者どうしが、自分のトラブルの対象を述べ合うことで、じょじょにその範囲を狭めていく、経験の「格上げ」(upgrade)、II 相手のトラブル語りの続きを別の参与者が完成させる「引き取り」、それに、IV 参与者たちがトラブルの対象者たちを同一のカテゴリーに括る不平連鎖(complaint sequence)の利用などが、データから確認された。
  2. だが当然ながら、いちどお互いのトラブルが分かち合われたからといって、そのままそれが維持され続けるとは限らない。たとえば、一方の参与者が他方にたいしてトラブルに陥ったことについて非難を行うときには、共成員性は中断される。それは、非難とは対照的な助言の場合も同様であって、つまり参与者たちを分断するカテゴリーがやりとりのなかで顕在化するとき、トラブルの分かち合いは「棚上げ」された状態になる。興味深いのは、データではこれら助言なり非難なりという行為が、ごく部分的なものに留まり、すぐにもとの分かち合いが回復されていることだ。トラブルの表明→助言→その受容→沈黙/前置き→トラブルの再表明という手続きを踏むことで、助言が「受け流され」たりするのはこのようなときだ。つまり、トラブルの共成員性は、非難や助言のようなそれ以外の行為の基底をなしているように思われるのである。
  3. かくして明らかにされたトラブルの共成員性においては、非難や助言といったトラブルの語り手の道徳性に接触する類の行為を斥けて、トラブルを抱えた自己の道徳性を相互に不問に付すのである。畢竟、自己の弱みを他者にさらす一種の「賭け」ともいえるトラブル語りにおいて、その共成員性の相互可視化は、自分と相手のトラブルを分かち合うという困難な作業を達成しているのである。(当日の発表内容はこの要旨とは若干異なる可能性があります)

公募報告(2)……14:40~15:55

平本 毅(立命館大学)「EMCAはいかにCMC(コンピュータを媒介したコミュニケーション)を研究対象にしうるか」
報告要旨:

電話会話等の他のメディア媒介的なコミュニケーションと比べて、CMCを対象としたEMCAは未発達な領域である。電子掲示板やチャットなどで交わされる「会話」のテクストを分析する試みは散見されるが、それらは体系的なものではない。しかし、われわれの日常生活におけるCMCの重要性は益々高まっており、けっして他のメディア媒介的なコミュニケーションに劣るものではない。本発表では、従来の会話のテクスト分析にそのテクストの産出過程の録画データの HCI(人とコンピュータとの相互行為)分析を含める新たな方法論を提案することを通じて、EMCAによるCMC研究の可能性を探る。社会学、(社会)心理学や認知科学、(社会)言語学、(社会)情報学などの分野で行われてきた従来のCMC研究は、電子空間に「共在」する人びとの心理や、電子メディアを通じて「話される」言語の形態を解明しようとしてきた。しかし、人びとは本当にある空間に「共在」し、そこで言葉を「話し」ているのだろうか。経験的に明らかなように、彼らがそう行為していると感じている間に実際に従事しているのは、コンピュータの操作(HCI)という別種の行為である。このことから、一つのEMCA的な問いが導き出される。すなわち、「いかにして人びとは、HCIを通じて電子空間に『共在』し、電子メディアを通じて『話す』感覚を社会的に達成していっているのだろうか」。この問いに答えるために、状況論や社会的分散認知論、アクターネットワーク論などの近接諸理論も援用しながら、チャット会話の録画データを用いた事例分析が行われる。分析結果から明らかになるように、HCIはそれ自体として社会的な相互行為であり、ユーザはコンピュータとの社会的相互行為を通じて他者との会話(CMC)を達成していっている。EMCAのアプローチを用いたこの過程の分析がCMC研究にもたらすであろう可能性について述べてゆきたい。

コーディネーター(2006年研究大会担当世話人):

樫田美雄(徳島大学)、秋葉 昌樹(龍谷大学)、五十嵐素子(光陵女子短期大学)

特別講演企画顧問:

串田秀也(大阪教育大学)