三節で述べたように、会話分析はアメリカで生まれました。そして現在では、その発祥の地であるアメリカから、世界中の様々な国や地域に広がっています(詳しくは六節を参照してください)。その中で日本も、イギリス、フィンランドと並んで、多くの研究者を輩出するようになってきています。本節では、会話分析が日本に紹介されてから今日に至るまでの歩みについて、簡単に振り返りたいと思います。
会話分析が日本に本格的に紹介されるようになったのは、1980年代末頃です。1989年に北澤裕、西阪仰両氏によって『日常性の解剖学-知と会話』が出版され、ジョージ・サーサスやハロルド・ガーフィンケルらによるエスノメソドロジーを紹介する論文とともに、ハーヴィ―・サックスのAn initial investigation of the usability of conversational data for doing sociology(邦題「会話データの利用法-会話分析事始め―」)とエマニュエル・シェグロフとサックスのOpening up closings(邦題「会話はどのように終了されるか」)の日本語訳が収められています。西阪氏は、当時から現在に至るまで、日本の会話分析研究をけん引する研究者であり、1992年には、好井裕明編『エスノメソドロジーの現実: せめぎあう〈生〉と〈常〉』 世界思想社に、「エスノメソドロジストはどういうわけで会話分析を行なうようになったか」 を寄稿し、1995年には『言語』24巻の7-12号に「連載〈会話をフィールドにした男〉サックスのアイデア」というタイトルで、会話分析の考え方と主要な知見についての紹介を6回にわたって連載しています。1999年には、会話分析の入門書がエスノメドロドジーとは独立に刊行されました。それが、好井裕明・山田富秋・西阪仰(編)(1999)『会話分析への招待』です。これ以降、日本語による会話分析の研究書や論文が数多く出版されるようになり、それに伴い、国内における会話分析の研究者も増えていきました。ただし、彼らの多くは、独学で会話分析を学んだか、もしくはアメリカやヨーロッパで会話分析を学んで帰国した人が中心です。このことは国内で会話分析を学べる機会がまだ非常に限られていることを意味します。
八節で詳しく述べますが、会話分析は社会学の一領域として出発し、現在では、言語学、教育学、文化人類学、認知科学、第二言語習得、外国語もしくは日本語教育など、さまざまな隣接・関連領域に広がっています。その背景には、会話分析が、日常的な行為や活動を「当たり前に」行うのに利用されている人々の手続き・方法を明らかにできる強力なアプローチであるという理解の広まりと、実験的、統計学的な手法で得られたデータとは異なる観点から現象を捉えることができるという点に対する関心の高まりとがあります。1960年代にサックスが会話分析を創始して以降、その成果や知見が着実に積み重ねられてきていることも、会話分析に対する関心を高める要因となっています。そして、日本国内における会話分析に対する関心の広がりと深まりを概観する上で特筆すべき出来事は、社会言語科学会の学会誌『社会言語科学』の第10巻第2号(2008年)「相互行為における言語使用:会話データを用いた研究」の特集が組まれたことです。この号は、日本語で書かれたものとしては初の会話分析の本格的な論集であり、国内外から投稿された11編の研究論文を収めています。この特集号以降、この雑誌は国内の会話分析研究者の主な投稿先となっています。
このように、日本国内での会話分析に対する関心が広がってきている一方で、会話分析を専門に学べる大学や大学院はまだほとんどないのが現状です。エスノメドロドジー・会話分析研究会では、「EMCAを学べる大学・大学院」で、エスノメソドロジーや会話分析が学べる大学や大学院の授業と担当者を紹介していますが、「会話分析」をうたった科目は非常に少なく、各大学・大学院のホームページ等で公開されている科目名称を見ただけでは分かりません。そのため、その科目の担当者が他の大学や教育研究機関に移ったり退職したりしてしまうと、その科目がなくなってしまう可能性が高く、欧米のように会話分析の研究者を育てる環境が整っているとは言い難いです。
会話分析は書物だけで学ぶことが難しく、会話分析を長年行ってきた研究者とともにデータを見て分析するという経験を積み重ねることによって、データ分析の技術が身に付きます。そのため、エスノメドロドジー・会話分析研究会では、こうした機会を提供するために、年に数回、講習会を開いています。また、研究者の有志による集中セミナーや、海外から著名な会話分析者を招いたワークショップやセミナーなども積極的に行われており、多くの場合、参加者を広く募っています(ただし、密度の濃い内容とするために、人数が20名以下に限定される場合がほとんどです)。近年では、欧米で会話分析の本格的なトレーニングを受けて帰国した若手の研究者たちが、こうしたセミナーの開催や運営に携わるようになっており、国内でも会話分析のトレーニングを受けられる機会がさらに増え、それに伴って、会話分析を志す人のすそ野もさらに広がりつつあります。(森本 郁代)
文献
- 北澤裕・西阪仰訳 (1989)『日常性の解剖学──知と会話』マルジュ社.
- 西阪仰 (1992)「エスノメソドロジストはどういうわけで会話分析を行なうようになったか」好井裕明編『エスノメソドロジーの現実──せめぎあう〈生〉と〈常〉』pp.23-45, 世界思想社.
- 西阪仰 (1995)「連載〈会話をフィールドにした男〉サックスのアイデア」『言語』24 (7-12)((1)「順番取りシステム再訪」(2)「物語を語ること」(3)「文の構築」(4)「隣接関係と隣接ペア」(5)「成員カテゴリー」(6)「やりとりのなかのアイデンティティ: ふたたび順番取りシステムへ」).
- 西阪仰・串田秀也・熊谷智子 (2008)「特集「相互行為における言語使用: 会話データを用いた研究」 について (〈特集〉 相互行為における言語使用: 会話データを用いた研究)」『社会言語科学』10(2), 13-15.
- 好井裕明・山田冨秋・西阪仰編著 (1999)『会話分析への招待』世界思想社.