どんな領域の研究をしているのか(戸江 哲理)

 ここまで読まれてきたかたは、きっと「エスノメソドロジー・会話分析はほんとうにいろいろなことを扱って、いろいろな学問の領域と関係しているな」と思われたことでしょう。じっさい、ここまでの節でも挙げられていたように、エスノメソドロジー・会話分析はたとえば、社会学、人類学、心理学、言語学、第二言語習得、そして哲学といった、さまざまな学問の領域にかかわっています。そして、扱っている対象の領域もまたバラエティに富んでいます。おさらいというわけではありませんが、どんなことをエスノメソドロジー・会話分析が扱えるのかについて、この領域という観点から、最後に整理してみましょう。

 エスノメソドロジーは、日々の身近な一見取るに足りないように思えるふるまいから、高度に専門的な知識や技術が必要となる世界まで、幅広くその研究対象としてきました。日常的な行動としては、小説を読むとか、テレビを視るとか、道を歩くとか、行列に並ぶといったことについての研究があります。変わったところでは、ジグソー・パズルをするとか、ピアノを弾くというものもあります。

 また、専門的な世界の研究としては、エスノメソドロジーの祖・ガーフィンケルも取り組んだ、医療の世界や科学技術の世界についてのものがその代表といえるでしょう(医者に学者とくれば、宗教家はどうだろうと思うわけですが、チベット仏教の世界に入り込んで調査を行った人もいます。さらに言えば、法曹の研究もあって、こちらは日本でも比較的初期から研究に取り組んでいる人がいます)。これらの世界にかぎらず、働くこと、もしくは職場についての研究は、その初発からエスノメソドロジーの主なフィールドのひとつであり続けてきたといえます。さらに、ここにジェンダーについての研究を加えることもできるでしょう(これもまたガーフィンケル自身が取り組んだテーマでもあります)。

 こんなふうに、素朴で身近な日常生活から、複雑に入り組んだ専門的知識・技術の世界まで扱うところに、「どこにだって秩序は等しくあって、それらは等しく研究に値する」というエスノメソドロジーの発想を垣間見ることができそうです。

 会話分析のほうでも、医療についての研究はたいへん分厚い蓄積を誇っています。これは海外だけではなく、国内においてもそうです。日本のEMCAを牽引してきた研究者たちもこのテーマに取り組んできましたし、海外でトレーニングを受けた比較的若い世代の研究者たちもまたそうです。法律についても、ポール・ドリューのような代表的な研究者が法廷でのやりとりの研究に取り組んでいますし、日本でも裁判員制度が導入されてから、それにかんするいくつかの研究がなされています。さらに教育についての研究も長い歴史があります。とくにヒュー・ミーハンが行った、教師が質問し、生徒がそれに回答し、これを教師が評価するというやりとりの研究は、後進に大きなインパクトを与え、また広く教育社会学者たちの知るところになっています。日本でもこの種の研究は精力的に進められています。

 日本における会話分析のフィールドという意味で忘れてならないのは、第二言語習得、つまり日本語教育学における会話分析に対する関心と期待の大きさです。この分野でも研究が進みつつあります。さらに近年の動向としては、各種の接客業におけるやりとりの研究が盛んになりつつありますし、高齢者介護のための会議の研究、医療でも医師と患者のやり取りだけではなく、看護師と患者のやりとりの研究などがなされています。また、東日本大震災の後に、避難者とボランティアのやりとりを調べた研究(西阪・早野・須永・黒嶋・岩田,2013)が出たりもしました。

 さて、ここまで読まれたかたの頭には、次のような疑問が浮かんでいるかもしれません。「なるほど、EMCAは平凡な日常から専門的なことまで扱うらしいけど、それはどんなふうに役に立つんだろう」。これは確かに難しい問いで、EMCAの研究を行っている人たちの間でもコンセンサスは取れないでしょう。ただし、いくつかのそれなりに妥当な答えかたはできそうです。そのひとつを紹介しましょう。

 ガーフィンケルは、エスノメソドロジーはチュートリアルな性格をもっていると述べました。私なりに平たく言えば、エスノメソドロジーの論文を読むと、そこに書かれている世界を人々がどんなふうにつくりあげているのかを理解できるということです。「なあんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんね。でも、それはたとえば病院で働く人々が自分の日々の医療実践を見つめ直すきっかけになるかもしれません。日本語教師が留学生を教えるなかで感じている難しさを乗り越えるヒントをそこに見つけられるかもしれません。

 専門的な領域での研究でなくたって話は同じです。歩きかたの研究は目が見えない人の歩行訓練とかその研究に役に立つかもしれません。ピアノの弾きかたのエスノメソドロジーは、早く上達したいと思っている人たちにとって手引書(正にチュートリアルですね)になるかもしれません。現に、ジャズ・ピアノの教室を開いてしまった人もいるのです(彼の名はデイビッド・サドナウです。興味が湧いたかたはちょっと別のウィンドウで検索してみてください)。

 会話分析では近年、この「役に立つ」ということが前面に押し出されることも増えてきました。海外では『応用的な会話分析』(Antaki, 2011)と銘打った本が出版されたりもしています。日本でも、オウム真理教の内部で秘密裡に収録されたやりとりを分析した結果が、テレビのドキュメンタリー番組内で放送されたりもしています。あるいは、これを読まれているあなたが、このウェブサイトを覗いてみようと思われた理由も、ご自分が携わっている仕事に何かしら役に立つかもしれないと思われたからかもしれません。

 でも、そんなに結論を急がなくてもいいと私は思うのです。他の学問の領域がそうであるように、EMCAもまた、じっくりとそれと向き合うなかで徐々にその像が掴めてくるものだと思います。ここまで私たちが書いてきたことは、いわばその最初の像を提供することでした。ですから、これからさらに文献を読み、この研究会に参加し、研究を続けられながら、徐々にあなたのEMCA観をかたちづくってほしいと思います。ここまで読まれたあなたはもう、そのための最初の門をくぐり抜けているのですから。(戸江 哲理)

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