概要
EMCA研究会2019年度秋の研究大会を、2019年10月13日(日)に、日本女子大学目白キャンパスで開催いたします。今回の大会では、例年と異なり、午前~午後に特別企画、続いて15:10から自由報告の順に行ないます。特別企画では、『EMCA研究とジェンダー研究』と題したシンポジウムを開催いたします。お誘い合わせの上、奮ってご参加いただければ幸いです。
(大会担当世話人:早野薫・岩田夏穂)
- 日時:2019年10月13日(日)10:30-17:00(閉会後は懇親会を予定しております)
- 場所:日本女子大学目白キャンパス百年館低層棟206,207教室
- 共催:日本女子大学 英文学科・英文学専攻
- 大会参加費:無料(会員・非会員とも)
- 事前参加申込:不要
- 今年も例年通り、抜き刷りコーナーを設置予定です(206教室後方を予定しております)。なお、配付物の管理は各自の責任にてお願いいたします。
プログラム
10:00 | 受付開始 |
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10:30-15:00 |
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15:10-16:50 | |
15:10-16:15 | |
16:50-17:00 | 閉会 |
【第二部】自由報告概要
鈴木南音氏「描かれるものの知覚を組織することの会話分析」
本研究は,描かれたものの意味付けが,いかに相互行為のなかで達成されるのかについて,明らかにするものである.図や絵を用いて説明がなされるさいに,説明の話し手が描いている図や絵は,それ自体がよほど正確で精巧に描かれない限り,他の資源(発話・身振り・視線など)が併置して用いられて,はじめて説明の受け手にとって理解可能なものになる.Charles Goodwinは,ある行為を成し遂げるために,さまざまな意味的資源(発話・身振り・視線など)が互いに彫琢し合ってその意味を獲得するような,意味的資源のそのつどの配置を文脈的布置(contextual configuration)と呼んだ(Goodwin 2000).本発表の関心は,描かれた絵や図を適切に知覚させるために,そのつどの文脈的布置がどのように組織されるのかということにある. 取り扱うデータは,舞台美術やアニメーションを制作するための打ち合わせ場面から収集した.そして,特に,描くことを開始するさいに見られる,絵や図を構造化するプラクティスに注目し,発話資源と絵や図などの視覚資源とが,どのように互いを意味づけし合い,全体としての意味を達成しているのかについて,明らかにした.
堀田裕子氏 「音楽療法に対する当事者たちの意味づけの相違―物象化される音楽とかみ合わない演奏のシーンを中心に」
本報告で扱うのは、在宅療養生活を送るある認知症患者宅でおこなわれた、能動的音楽療法の相互行為場面に関するビデオエスノグラフィである。ここでは、音楽演奏という中心的活動の周辺で、さまざまな相互行為上の「トラブル」が生じている。とくに注目したいのは、次の2つのシーンである。1つは、音楽療法士が用意してきた楽曲の歌詞カードを、療養者が額縁に入れて飾りたいと何度も申し出るシーンである。だが、飾りたいと指定する先はベッド足元の壁であり、そこに飾ると療養者は歌詞を参照できなくなってしまう。こうした「音楽の物象化」を療養者はなぜ志向しているのか。もう1つは、療養者の歌唱と音楽療法士の演奏(伴奏)とがかみ合わないシーンである。療養者が自分の好きなタイミングで歌い始め演奏が伴っていなかったり、演奏が始まっているのに療養者が歌唱できなかったりといった事態が生じている。しかし、これらの周辺的「トラブル」ーー「音楽の物象化」をめぐる意識の相違や時間-空間意識のズレーーとその解決を目指そうとするプロセスには、当事者たちの音楽療法や音楽に対する意味づけが表れていると考えられる。本報告では、その意味づけが、療養者と音楽療法士(あるいは医療従事者)との間でどのように異なるのかについて言及したい。
樫田美雄氏 「療養者のブリコラージュとしての非リズム的手拍子-音楽療法のビデオ・エスノグラフィー-」
病状から発声が困難になっている在宅療養者に音楽療法が提供されている場面を報告する。歌えない療養者は、手拍子によって場面に参与していた。では、どのように参与していたのだろうか。当該場面内には、音楽療法士1名(バイオリン奏者、社会福祉士資格も所有)、看護師1名、ビデオ撮影者1名、療養者1名、療養者家族(妻)1名の合計5名がいたが、療養者は、ある特異な手拍子の方法を開発して参与していた。つまり、リズム(だけ)ではなく、バイオリン奏者が演奏している曲のメロディ部分に対応して、左右の手を擦り合わせて上下させる動作を組み込みながら、手拍子を行っていた。まずは、このことを「在宅療養者のブリコラージュ(器用仕事、レヴィ=ストロースの用語)」の一例として報告したい。なお、時間に余裕があれば、もう一点検討したい。つまり、この新規性のあるブリコラージュが、どのように既存の文化活動(リズム的手拍子)と協調したりしなかったりするか、という点も検討したい。というのも、音楽療法士以外の参与者が、標準的な手拍子(リズム対応型手拍子)を横で多数で行い始めると、そちらに同調して、リズム刻み系の標準的な手拍子に、当該の療養者の手拍子もなっていってしまっているように見えるのである。この、既存の文化への再巻き込みのプロセスにも分析を及ばせたい。
松永伸太朗氏・布川由利氏 「社会調査インタビューのEMCA研究の展開:1990年代以降の文献レビューから」
本報告では、社会調査の一環として行われるインタビューに関するEMCA研究のレビューを行い、その意義と今後の展開可能性について議論する。調査インタビューに対しては、それが自然に生起した会話ではないという考えから、かつてEMCA研究の中で積極的に取り上げあげられてこなかったという経緯がある。しかし近年、インタビューが制度的会話の一つあることに着目し、その相互行為的な組織や特徴を捉えようとするEMCA研究が蓄積しつつある。こうした動向は、調査インタビューの批判的検討を経て、インタビューとEMCA研究の関係性が徐々に変化してきたことを意味している。本発表では、こうした動向を牽引しているキャスリン・ロールストンの2006年と2019年におけるレビュー論文を手がかりとしつつ、そこで紹介されている個別の文献も検討する。そこから、①インタビューのやりとりを相互行為として捉える、②whatの問い(内容)とhowの問い(形式)を分けないというEMCA研究においては基本的な方針が確認されながら、会話分析や成員カテゴリー化分析などの個別トピックに向かって展開が再整理しつつあることを示す。こうした整理を行ったうえで、インタビューの社会調査としての性質を捉えるうえで、インタビューの場それ自体に関わっている複数の記述をいかに取り扱うかという課題が今後重要となってくるように思われることを議論する。
岡田光弘氏 「エスノメソドロジー研究は「暗黙知」といかに向き合うのか」
EMの対象である「方法」とは、どのようなものなのだろうか。マニュアルのような「命題的な知識」ではなく、実際の行為を生み出す「やり方についての知識」だと言われることがある。また、そういった知識のあり方は、「暗黙知」と同一視されることもある。この二つは、どう違うのだろうか。マニュアルが実行されるには「暗黙知」が求められるという話は、科学研究の領域では、Polanyi『暗黙知の次元』(1966)にまで遡る。教科書や論文の方法論の説明は、科学が実践的にどのように遂行されているのかについて適切な説明をもたらさない。ここで要請されるのが「暗黙知」という概念である。 Garfinkelは、形式化された説明と、特定の機会に遂行された行為とのあいだにある乖離を「指示・教示に基づく行為」で語る。インストラクションを受肉化して用い、一つの実践の中で続けざまに読み込む、解釈学的循環の派生態である「相互反映性」が肝である。EMは、当初のインストラクションに、予期されていない出来事によって有益な情報が与えられ(またあるときには混乱させられ)、相互行為を通じて精緻にされ、また、注目すべき項目が明らかになっていくことで理解可能になっていく、そのやり方を「暗黙知」というマジックワードを用いることなく、記述するプログラムなのである。