第一部 自由報告
中馬隼人氏(中部大学)
「『わけの分からなさ』を示す方法の諸相:『どういうこと』を用いた他者開始修復とその境界例」
この度は貴重な発表の機会をいただき誠にありがとうございました。
本報告では、他者の発話にかんする「わけの分からなさ」を示す方法の諸相について、会話分析の手法を用いて分析を行いました。具体的には、「どういうこと」(cf. “What do you mean?” Raymond & Sidnell, 2019)という発話形式を用いて、他者の発話内容について理解できないことや、他者の言動が特定の規範から逸脱していることなどを示す現象に着目し、いくつかの相互行為的機能について検討しました。ここで言う「わけの分からなさ」とは、「発話の内容がよく分からないこと(言葉足らず、非流暢的、発話意図が不明、因果関係が不明瞭などに起因する)」、「一般的な規範・想定・期待から逸脱していること」などを指すと考えます。このような「わけの分からなさ」の相互行為における扱われ方は、解決(修復)、さらなる他者の説明を促す、驚き・不満・笑いの反応など、多様な形で観察されました。
分析対象のデータは、日本語日常会話コーパス(小磯ほか, 2023)から収集した「どういうこと」を伴う発話84例で、その相互行為的な機能の内訳は以下の通りです。❶他者開始修復(n=34; 40.5%)、➋語りの促し(n=13; 15.5%)、❸不満・驚き(n=14; 16.6%)、❹笑い(n=12; 14.3%)、❺曖昧なケース(n=11; 13.1%)。これらの分類は、「どういうこと」発話が用いられる連鎖位置と発話の組み立ての観点から行いました。特に、❶と➋は連鎖を開始する行為 (initiating actions)、❸と❹を、ある種の逸脱に対する反応を示す行為(responsive actions)と特徴づけ、それぞれに該当する事例について詳細に検討しました。
当日の質疑応答では、❶~❺のグループ分けの妥当性に関するコメントや、「どういうこと」を用いた他者開始修復と他の形式の他者開始修復との相違に関するコメントを頂戴いたしました。また、休憩時間等でも参加者の方々からの有益なご助言を多数賜ることができました。
今回頂戴したご助言をふまえ、「どういうこと」発話の相互行為的機能の精緻化および、曖昧なケースの位置づけについてのさらなる検討を続けたいと思います。特に、❶から❺のグループ分けを離散的なものではなく、家族的類似性を有するという観点から詳細な分析を試みたいと考えています。
最後に、本報告の準備にあたり、データセッション等で貴重なご意見をくださったみなさま、当日質問やコメントをくださったみなさま、そして本大会担当世話人の横森大輔さんと石野未架さんにこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
劉礫岩氏(NICT)
「活動の移行を担う行為連鎖の分析」
本発表は、特定の会話者が自身がメインの話し手として行っていた活動から離脱するプラクティスについて考察したものである。取り上げた2つの事例は、いずれも話し手が相手の参加者による質問に対する応答の位置において、その応答に関連付けて、自己志向的(self-attentive)な説明を行っている点で共通している。このような自己志向的な特徴によって、相手の参加が制限されたり、話し手の説明に対してあからさまなディスアライメントが生じたりし、その結果、話し手の活動が行き詰まってしまう。このような状況で、話し手が自身の行った説明に関連しつつ、相手に対して質問や誘いといった他者志向的(other-attentive)な行為を行うことによって、話題的な関連性を保ちつつ、それまでの活動から離脱する、というプラクティスである。
このような貴重な機会は、自分の研究をどのように伝えれば良いかについて考えるきっかけとなっただけでなく、質疑応答でのご質問やご意見により気付かされたことも、大変な収穫であった。分析対象である行為連鎖は、先行活動からの離脱に動機づけられているため、なんらかの仕方でその効力が弱められやすく、そのパターンの1つは、質問の制約が緩められ、応答の位置で質問内容とは異なることが述べられることであった。この分析に対して、このような「ずれた」応答がすぐに開始されるのではなく、挿入連鎖により応答内容に対する確認が行われているのではないか、というご意見があった。つまり受け手は質問者に対して注意深く「ずれた」答えを返している可能性が示唆される。また、話し手が対象の行為連鎖を合理的に行うために、受け手の成員性のみならず、観察可能な受け手の関心も利用されうるのだが、この点で、本発表の説明が不足していたことも、気付かされた。貴重なご指摘、質問、コメントをくださいました方々に、この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。
岡田光弘氏(成城大学)・南保輔氏(成城大学)・須永将史氏(小樽商科大学)・海老田大五朗氏(新潟清陵大学)、河村裕樹氏(松山大学)
「『Aspects』論文とS S&J論文:EM的なCAとは何か?」
このたびは、発表のご機会をいただき、ありがとうございました。また、フロアからの貴重なご意見、コメントに感謝いたします。
「『Aspects』論文とS S&J論文:E M的なC Aとは何か?」と題する本報告では、主に、McHoul(2005)や(Button et al. 2022)という文献を参照して、「Aspects of the Sequential Organization of Conversation」(以下、「Aspects」論文)と題された草稿(1970年日付)について検討しました。それによって、C AがガーフィンケルのEMを引き継いでいる面を強調する主張と断絶を強調する主張があり、ある時期以降のガーフィンケルの主張とCAとの間には齟齬があると言われる中で、「EMという宝石の土台となる王冠とは何か?」という問いについて、明らかしました。
C A以前、Conversational Analysisと呼ばれていた時代の「Aspects」論文の各章は、おおよそ以下のようなテーマで構成されています。「§1.第二の物語」では、「第二の物語」が「類似性を達成すること」によって成り立っていることが示されています。当時、サックスは、トピックの分析を、連接や指示について明らかにした後で取り組むべき課題だと考えていたと思われます。「§2.話し手が会話を連接する組織」は、事実上、「順番交替」論文の草案であり、二人以上の参与者との会話における「一人ずつ」と「話し手の交替が繰り返される」ことを考慮したものです。「§3. 聞き手の問題」においては、例えば共同の完了のような連接の産出が可能かどうかを取り上げています。「§4. ギャップとオーバーラップの問題」においては、ギャップやオーバーラップは存在するが、話し手と聞き手がそれらを整然と回避または最小化することを指向した成果物として分析することが重要であると指摘しています。興味深いのは、この草稿では、こうした進行で、「トピックの組織、指示の組織、連接の組織」について全体論的に語られていたことです。
ダルク研究のための手がかりを求めて始まった研究でしたが、「Aspects」論文は、C Aが、E M / C Aとして生まれ、 E Mと同根の存在であったことを思い起こさせるものでした。
質疑応答では、さまざまなご意見、ご質問をいただきました。貴重なご指摘、質問、コメントをくださいました方々に、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
⽵⽥琢氏(⻘⼭学院⼤学/早稲⽥⼤学)
「グループワークにおける個々の学⽣が順番に意⾒を表明する活動において、順番はどのように移行されるのか:敬体の使⽤に注⽬して」
このたびは、貴重な発表の機会をいただき、ありがとうございました。
本報告では、大学の授業内グループワークにおける「自分の意見を表明する活動」がどのように移行するのかに関して、会話分析の手法を用いて検討を行いました。検討を行う際には、特に敬体と常体の使用に着目しました。
発表では、現在の順番の話し手が意見表明を完了して次の話者に移行するには、(1)話し手が文末表現に敬体を用いて意見表明の完了(TCUの完了可能点)をマークし、それが聞き手に承認されること、(2)意見表明の完了が承認されない場合には話し手は「以上です」や「はい」を用いてこれ以上意見表明の追加事項がないことを主張することを示しました。
続いて、敬体が意見表明の完了をマークする際に文末で用いられることで意見表明の完了をマークする働きがあることが明らかになった一方、常体はどのように用いられているかに関して検討しました。その結果、参与者は常体を用いることで意見表明活動における公式の順番を取っていないことを示し、そのことを相互理解可能にしているということを指摘しました。
質疑応答では、多くの重要なコメントをいただきました。
まず文末表現で敬体を用いて意見表明の完了をマークしているという分析に関して、二点コメントをいただきました。①「思いました」「感じました」のように文末表現で敬体が用いられていることだけでなく「思う」や「感じる」など自分の思ったことや感じたことに敬体が使われている点についても分析が必要ではないか、②文末表現「ありがとうございました」は、自分の意見表明の完了をマークするというよりその感謝を宛先に向けているものとして聞くことができる。それゆえ公式に意見表明の完了をマークする「思いました」に対して「ありがとうございました」は例外的な事例ではないか、というご指摘をいただきました。今回の分析では「です・ます」という敬体表現に主眼を置いて分析を行いましたが、①でご指摘いただいたとおり「思う」「感じる」「参考になる」などの主観的な表現との関係についても今後検討していきたいと思います。②でご指摘いただいた「ありがとうございます」という感謝表現についても、今後その宛先を含めた分析を行いたいと思います。
また、本発表では「自分の意見を表明する活動」を会話の変形態(Sacks, Schegloff&Jefferson, 1974)と捉えて参与者は順番交替のシステムに志向していると論じましたが、今回の事例が順番交替システムを志向していると述べて良いかについては丁寧な検討が必要ではないかというご指摘をいただきました。私自身の順番交替システムに関する理解を深め、今後妥当な記述ができるよう分析を進めたいと思います。
続いて、意見表明活動の構造に関するコメントをいただきました。本発表の事例では、参与者たちは四つのトピックについて順番に自分の意見を表明していました。コメントでは一つ目のトピックの意見表明活動を通じて発言の順番が決定されていること、そして二つ目以降のトピックに関する意見表明は一つ目のトピックの意見表明活動によって決定された順番に従って活動が進行していること、これらを踏まえて一つ目のトピックの意見表明活動と二つ目以降のトピックの意見表明活動は区別して検討する必要があるのではないか、というご指摘をいただきました。本発表の分析では、一つ目のトピックの意見表明活動とそれ以降の意見表明活動を区別せずに分析を行なっていました。ご指摘のとおり、一つ目のトピックの意見表明活動が順番を決定するという点で重要であり、まずこの活動がどのように達成されているかを分析する必要性を痛感しました。
以上のように、重要なご指摘をいくつもいただきました。このほか、休憩時間や懇親会でも発表に関して先生方にコメントをいただきました。いただいたコメントは今後の分析に生かしていきたいと考えております。
この場をお借りして、大会の企画・運営にご尽力いただいた世話人のみなさま、貴重なご指摘、コメントをくださいました方々に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
第二部 テーマセッション 「いま問い直す順番交替組織の諸相:Sacks, Schegloff, & Jefferson (1974)から50年の節目に」
西阪仰氏(千葉大学/一般財団法人エスノメソドロジー・会話分析振興財団)
「順番交替組織の使い方」
最初に,今回,貴重な機会をご提供いただいた担当世話人のみなさん,また議論いただいた参加者のみなさんに感謝いたします.ありがとうございました.今回,順番交替論文の50周年記念の企画であることを踏まえ,会話組織の「技術的特徴」の解明を目指した当該論文のいくつかの概念装置を,「相互行為において達成されること」の研究にどうつなぐかという問題関心にもとづいて,2つのトピックについて話しました.1つは,順番の構成,もう1つは,「現在の話し手が次の話し手を選ぶ」技法の2つの成分(宛先特定と「次の順番における反応の一般的期待可能性」の産出)の組み立てでした.順番の構成に関しては,もともとサックスが,「順番構成単位(TCU)」という概念ではなく,「文」という概念を用いていたことから,TCU自体が,文の規範性を引き継いでいる可能性ついて,順番交替論文以降の研究(日本語では,串田,林,森らの研究)を踏まえ考えました.とくに,句・文節・節・文としての文法的な完結性をあえて欠いたように見える「不完全なTCU」の使用に焦点を合わせ,それにより「相互行為において達成されること」について考えました.「現在の話し手が次の話し手を選ぶ」技法に関しては,宛先特定および「反応の一般的期待可能性」のいずれもが,白か黒かというものでなく,グラデーションを持つものである可能性について,やはり順番交替論文以降の研究を手掛かりに考えました.そのうえで,様々なグラデーションの組み合わせにより,順番の割り当てについて,形式的特徴によってのみでは説明できない現象のありうることを指摘しました.
この問題提起について,発表後,何人かの方から関心を示していただくことができました.たいへん喜ばしく思っております.また,そんなわけで,報告の表題は,「順番交替組織の使い方」としました.当日の報告冒頭で述べたように,会話分析研究者が順番交替論文をどう使えるかというのが,その意味でした.が,終了後に,順番の構成や順番割り当てにおいて,会話者自身が順番交替の形式的特徴をどう使っているか,という議論にもなっているのではないかと,ご指摘を受けました.そのとおりだと思いました.ご指摘ありがとうございました.
小宮友根氏(東北学院大学)
「順番が先か行為が先か」
秋の大会では会話分析のもっとも基本的な概念である「順番交替」について考える機会をいただきました。私の報告では、「順番」概念が一方で限りなく事実概念に近い「薄さ」を持つ(実際に順番が替わったことから独立に「順番の終わり」を認識できない)ものであると同時に、規範概念としての「濃さ」も持っている(発話することがただちに順番取得のための指し手となるのではなく、順番取得の指し手には「話し手性の表示」が求められる)ことの確認をしたうえで、前者の「薄さ」が日常会話の「原初的」性質とかかわっていることを、「会議」型の順番交替システム(裁判員裁判の評議)を検討することで示そうと試みました。会議型のシステムについては、議長にあらかじめ発言順番が割り当てられ、その発言順番を使って議長が他の参加者に発言順番を配分することがその特徴であると言われます。しかし実際に評議の順番交替を観察してみると、議長が「他の参加者に発言権を与えること」と「他の参加者に発言順番を配分すること」は異なった水準の事柄であること、そして「他の参加者に発言権を与えること」は、むしろ日常会話型の順番交替システムを基盤にしておこなわれていることがわかります。このことは、「議長が発言権を与える」という、参加者と議長の非対称な権利/義務関係の基盤に日常会話型の順番交替があることを示唆するものであり、その点で日常会話が制度的トークにとってどのように「原初的」であるのか、逆にいえば制度的トークの「制度」性が正確に言ってどこにあるのかを、より詳細に検討していくうえで興味深いことがらだと思っています。他方で報告では、順番概念の「濃さ」については十分に検討することができませんでした。こちらは「TCUとは何か」という、やはり会話分析にとって根本的な問いにかかわる問題であり(当日の議論でも「文」と「TCU」の関係が少し議論になったように)、引き続き考察してゆきたいと考えています。あらためて、貴重な機会をいただけたことに感謝申し上げます。
坂井田瑠衣氏(公立はこだて未来大学)
「
今回,いわゆる順番交替論文から50年の節目となる重要な企画に参加させていただくことができ,大変貴重な経験となりました.
今回の話題提供をお引き受けするにあたり,私自身が必ずしも順番交替組織それ自体の研究に取り組んできたわけではないことから,どのような内容がふさわしいのか非常に悩みました.順番交替組織にかかわる話題提供として受け止めていただけたかどうかは,今でもあまり自信がありません.しかし,Sacksたちが順番交替論文で示唆しつつも長らくあまり焦点が当てられてこなかった,「活動」という観点から順番交替組織をみることについて,改めて考えるきっかけとなる素材を提示することはできたのではないかと感じています.
私の話題提供では,会話の順番交替システムが,当座の活動に埋め込まれた形で志向されるさまを捉えようと,活動における「沈黙(silence)」に焦点を当てました.具体的には,視覚障害者の歩行訓練場面のデータを用いて,歩行訓練士と視覚障害者が「黙々と歩く」といった現象を,活動上レリバントな「沈黙」として分析しうるかを検討しました.
当日の参加者のみなさまとの議論から,沈黙(silence)について今後より深く検討していくべき論点がいくつか明確になってきました.
まず,「沈黙」という日本語が含意するところが,英語の “silence” には必ずしも対応していないという問題です.英語の “silence” は「無言(無音)であること」を中立的に意味すると考えられるのに対し,日本語の「沈黙」は参与者が主体的に「沈黙している」ことを含意しうる概念であることから,例えば参与者たちが黙々と活動に従事していることを「沈黙」と呼ぶことについては,かなり疑わしいところがあります.Lorenza Mondadaの一連の研究で “silent moments” と称されているような,相互行為における「無言(無音)」状態を,日本語の概念でどのように捉えていくべきか,引き続き丁寧に考える必要があります.
また,活動上レリバントな位置に生じる「沈黙」と,SchegloffとSacksが特徴づけた「発端の会話がまだ持続している状態 (continuing state of incipient talk)」の異同をどう考えるかという点についても議論になりました.「会話の持続状態」は,いわゆる「終了論文」(Schegloff & Sacks, 1973)において,日常場面では改まって会話を開始する手続きをとる必要がない状態がありうることを示す文脈で導入されたものでした.つまり,そこでの会話は,いつでも偶発的に再開されうるものとして捉えられています.他方,歩行訓練などの活動において生じる「沈黙」は,参与者たちによってその状態に持ち込まれ,維持されるものです.そこではもはや「会話が持続している」というよりも,活動に特有の(結果として「沈黙」となる)相互行為状態を維持することが志向されています.活動に埋め込まれた相互行為の組織化を探究するにあたって,「会話状態(state of talk; Goffman, 1981)」という枠組みを超えた議論が必要になるのだと思います.
最後になりましたが,このような貴重な話題提供の機会をいただいた担当世話人のみなさま,当日および後日にわたってご助言をいただいた先生方,日頃から議論を重ねていただいている共同研究者のみなさまに,この場をお借りして御礼を申し上げます.