概要
EMCA研究会2018年度秋の研究大会を、2018年10月28日(日)に、日本女子大学目白キャンパスで開催いたします。午前の自由報告に続いて、午後は、今年の3月に逝去されたCharles Goodwin 先生を偲び、追悼特別企画「協働としてのインタラクション:言語・身体・参与」と題した企画セッションを開催いたします。お誘い合わせの上、奮ってご参加いただければ幸いです。
(大会担当世話人:早野薫・岩田夏穂)
- 日時:2018年10月28日(日)10:30-17:30(閉会後は懇親会を予定しております)
- 場所:日本女子大学目白キャンパス香雪館 教室:#301, 302
- 共催:日本女子大学 英文学科・英文学専攻
- 大会参加費:無料(会員・非会員とも)
- 事前参加申込:不要
- 今年も例年通り、抜き刷りコーナーを設置予定です(301教室後方を予定しております)。なお、論文等の配付物の保管、管理は各自の責任にてお願いいたします。
プログラム
10:00 | 受付開始 |
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10:30-13:05 |
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10:30-12:25 |
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13:05-14:30 | 昼食(総会、世話人会) |
14:30-17:30 |
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17:30 | 閉会 |
【第1部】自由報告概要
太田 博三氏「日本語学習者会話データコーパスにおける相互行為の対話自動生成への適用に関する一考察」
最近,自然言語処理における対話システムや対話生成が注目されている.チャットボットのコールセンターへの普及により,正確な対話応答ができ,且つ人間性な応答が求められている.ここで,定性的な社会学に定量的な自然言語処理の融合を目指し,上記の目標を達成することを目的とした.社会学の中のエスノメソドロジーや会話分析,言語学の談話分析などから導出される定性的な解は非常に有益である.システム化すると,やや煩雑になってしまうのも否めないが,そのままであるのも,好ましくはない.せっかく,ディープラーニングなどの先端技術が出て来て,画像認識等の分野でブレークスルーしているのに,これを試してみない訳にないかない.そこで,国立国語研究所の提供する日本語学習者会話データベースを用いて,その効果を再検証し,対話破綻の傾向や対話生成に適用することを目指す.対話システムのどの部分に適用すべきかが導出できると思われる.
吉川侑輝氏「音楽にかかわる活動におけるエスノメソドロジー——研究文献のレビューとその含意」
本報告が取りくむのは、音楽にかかわるさまざまな活動におけるエスノメソドロジーを対象とした研究文献をレビューすることである。この作業をつうじて報告者は、(1)既存の研究が明らかにしてきた知見を確認していくとともに、(2)研究それ自体の特徴やそれぞれの研究同士が備えている関係を明確にしていくことを目指す。より具体的には、即興演奏、楽曲制作、リハーサル、レッスン、マスタークラス、ワークショップ、本番、そして日常生活といったさまざまなフィールドにおいて遂行された研究を収集し、それぞれの研究を、分析対象としている活動の特徴や、取りくんでいる課題といった観点から検討していく。こうした作業をつうじて、それぞれの研究が、対象としている活動における連鎖的/時間的秩序を編成していくために利用されている発話、身ぶり、そしてサウンドをはじめとした多様な表現を結びつけていくためのプラクティスを解明する作業に従事していることが明らかになる。その上で報告者は、こうした研究のエスノメソドロジー研究における位置づけや、音楽に関心をもつ研究者たちの専門的活動ならびに音楽に従事する人びとの日常的活動への含意などを議論する。
岡田光弘氏「「法律相談」の(ビデオ・)エスノグラフィー――Garfinkelの試みを引き継ぐワーク研究として」
目的:「法律相談」の場面を作り上げている活動について、H.Garfinkelによるワークの研究の枠組みから明らかにすること
方法:実際に行なわれている「法律相談」場面について、ビデオ録画を活用した、エスノグラフィーによる研究を行った。その際に、H.Garfinkelが、「大学の大教室での講義」についてワーク(方法による達成)研究を行うさいに用いた「フィールドノーツからの推測」という手法を活用する。Garfinkelは、そのさいに、エスノメソドロジー研究が解明した現象について、=( )=として記述されていた。本報告では、「フィールノーツからの推測を」という記述の手法を近年、報告者たちが展開している、ビデオ・エスノグラィーに接続する試みを行なった。
結論:Garfinkelは、「講義」というワークを成し遂げている方法について 明らかにしようとした.エスノメソドロジー研究における「現象」として「講義」においては、たとえば、=(黒板を消す)=ことなどによって、=(ペースを合わせる)=ことが基調となると記述した.これに対して、本報告では、「相談」においては、むしろ、弁護士と相談者は、それぞれ、さまざまなリソースを活用して、=(ペースを合わせない)=という活動が、顕著に見られることが分かった.
樫田美雄氏「社会学危機論からみたEMCAの現在――「社会学における社会」と「EMCAにおける日常」の同等性,あるいは,活動の同定問題」
ここ3年ほど,「社会学危機論からみたEMCAの意義と課題」というテーマを考えている.日本社会学会甲南大学大会でのTS6もその一部であるし,9月に出た『新社会学研究』3号の巻頭エッセイ「社会学的に考えることの実践としての『新社会学研究』」もその一部である.社会学は自由だが,自由すぎて怖いので,「データ」や「日常」に立脚するべきだ,と当事者は思わず言ってしまう.このメカニズムのなかに,EMCAの人気の理由と落とし穴の両方があるのではないだろうか?
上述の基本認識の下,『質的心理学フォーラム』10号(2018年9月末刊行)の「展望論文」に「エスノメソドロジー・会話分析の現代的意義と課題」を書いた.秋の大会では,この論文での主張を発展させて,その是非を諸氏に問いたい.
社会学が危機であるほどには,EMCAには危機が迫っていないようにみえるが,それは誤解である.エスノメソドロジーは,「人々の日常」という,出発点(基盤)を持っているがゆえに,社会学を基礎づける特別な社会学であるかのように一見みえるけれども,その基盤は「あることになっているもの」という地位しかじつは持っていない.「再特定化」は,成功していればすごいが,成功している保証はない.つまりは,社会学が,他の社会科学に対して「社会という基盤から考えよ」と主張して,いい気になっていた時代と,現在のEMCAは同じなのではないか.このタイムラグ問題を無視してはならない.社会学において「社会を疑う思考」(例:若林・立岩・佐藤2018『社会が現れるとき』)が出てきていることを真摯にうけとめて,EMCAも「日常」を疑うべきである.そこに「活動の同定問題」が出現する(はずだ).
南保輔氏,西澤弘行氏,坂井田瑠衣氏,佐藤貴宣氏,秋谷直矩氏,吉村雅樹氏「視覚障害者の「知覚」を焦点とする情報授受――歩行訓練場面における触覚と「これ」の組み合わせ使用」
視覚障害者と晴眼者との間で生じる相互行為は一つの豊かな探索領域を提供するものである。視覚障害者は視覚情報インプットを利用することはできない。街路を歩行するとき,かれらが依存していることが観察可能なのは主として聴覚と触覚によるインプットであり,後者は白杖と足裏感覚などを活用することによって得られる。
調査のために歩行訓練士による街路での歩行訓練を観察しヴィデオ記録した。環境について必要な情報を提供するために,歩行訓練士は白杖が対象ターゲットに当たる瞬間をねらって発話を行っていた。日本語のダイクシスである「これ」が使われていた。 提供する情報が簡潔で短いときには,白杖がターゲットに当たりつぎにほかのものに当たるまでのあいだに発せられていた。しかし,説明の文章が長くなるときには,ターゲットの存在を前もって予告する発話をしておいて,白杖がターゲットに当たる瞬間をねらって「これですね。」と発話するようなことをしていた。 「これ」は,視覚障害者が自身のふるまいを歩行訓練士にたいして,可視化しアカウンタブルにするためにも用いられていた。道が左に曲がるということを予告されて,そのように歩行の向きを変えたところ,白杖が縁石に思ったとおりの位置であたったときに視覚障害者が「あ,これ」と発話した事例があった。「道が左に曲がる」という環境情報が適切に受けとめられ,知識状態の変化が生じたことが,白杖と「これ」の組み合わせで歩行訓練士にも可視化されているようであった。
これらの事例が示すのは,不断に変化している時空間状況に応じて参与者たちがどのように行為を連係させているかである。それによって,モビリティが言語使用と社会的相互行為に影響し影響されるありようをよりよく理解するためのひとつの根本的な貢献をしている。
鈴木南音氏「紙面上における表象のアスペクト転換――アスペクト転換の相互行為的達成」
本研究の目的は,紙面上の表象がインストラクションをとおして,どのように構造化されるかを,明らかにすることである.
そのための方法として,演出家がこれから作る舞台について,ノートに描きながら他人に説明している場面を録画し,会話分析の方法を用いて分析した.そのなかで,奥行きを持つ表象として見られるべき舞台を,聞き手が,真上から見下ろした平面の舞台と見誤ったさいに,演出家が聞き手に対して図の見方の転換を促す場面に注目し,ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚についての議論などを踏まえながら,分析を行なった.
研究の結果,紙面上のアスペクト転換は,知覚を行なう個人の心的過程としてだけではなく,公的な出来事として行なわれうるということが明らかになった.また,他人によってアスペクト転換が促されるさい,類似性を見ないことが,知覚する本人に対して他人から促されうるということ,そして,紙面上における奥行きが構造化されていく過程について,明らかになった.
荒野侑甫氏「行為の複合感覚的な達成――視覚化とともに達成されるインストラクション」
本論文は,エスノメソドロジー・会話分析の方法論に依拠し,「行為の複合感覚的な達成」に注目する.これによって相互行為における「複合感覚の組織」について議論を展開する.とくに本論文では,ギターのレッスン場面のなかでも,とりわけ「視覚化とともに達成されるインストラクション」の実践の論理を明らかにする.このインストラクションにおいては,プロのギタリストである教師が,どのような感覚で弦を押さえて,ギターを弾いているのかが主眼となっている.このことを達成させるために,教師は,(a)実際に実物(ギター)を使用すること,そして(b)ギターの指板の断面図をホワイトボードに描くことの2つの表象をすることを行う.これらのやり方によって,教師はギターの指板のどこをどのように押さえればよいのか,そしてそのことはどのような感覚で行うべきなのか,そのことの指示をする.これらのやり方は,「専門家の感覚」を教えるというインストラクションの実践的な目的に沿ってデザインされている.そしてそのようにデザインされた視覚資源と発話による聴覚資源が共生的に,相手の把握の仕方を変化させるインストラクションを達成される.
【第2部】Charles Goodwin 先生追悼特別企画 「協働としてのインタラクション:言語・身体・参与」概要
遠藤智子氏「C.Goodwin教授とアジア言語の会話分析」
マルチモーダル相互行為分析で知られる故Charles Goodwin教授はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の応用言語学科に所属され、Talk and Bodyと題した講義形式の授業のほか、Discourse Labという大学院生や訪問研究者とのデータセッションを毎週行い、活発な議論の場としていた。応用言語学科や隣接するアジア言語文化学科の学生には日本や韓国および中国語圏からの留学生も多く、Goodwin教授の指導のもとで執筆された博士論文にはこれらのアジア諸言語に関するものが少なくない。また、直接の指導を受けていなくとも、ビデオデータに基づいた相互行為分析をする研究者の多くはGoodwin教授の影響を受けていると言えるだろう。本発表では、日本語・韓国語・中国語の会話分析においてGoodwin教授の研究がどのような形で活きているのかを紹介、考察する。
黒嶋智美氏「EMCAの枠組みを超えて――チャールズ・グットウィンによる人間行為探求の飽くなき追求」
C.グッドウィン氏の研究領域は多岐に渡り,それをまとめることは容易ではないが,氏がずっと関心を寄せ続けていたのは,人びとの様々な活動における日常的なふるまいと,知識,環境,道具の使用などの関わり方であり,またその累積的特徴にたいする深い洞察であったといえる.グッドウィン氏の緻密な記述は,EMでもCAでもない(と本人自ら言及している),既存の枠組みには当てはまらない,独自の分析的視点によって支えられており,それは後続の研究者が目指すべきひとつの方向性を示してくれている.本発表ではグッドウィン氏の研究を振り返りながら,EMでもCAでもないチャック流の研究が,どのようなアプローチであったのか,彼の提示した主要な分析的概念をもとに議論する.
城綾実氏「相互行為の鮮やかさを描き出す――身振りの重ね合わせを例に」
発表者は、2人以上でほぼ同時に同じような身振りを重ね合わせる現象(gestural matching)に、10年以上ものあいだ魅せられている。この現象を会話分析的に研究するにあたり数多くの研究に支えられてきたが、とくに、 Charles Goodwin先生による会話と視線の関係についての研究(Goodwin, 1981など)や身振りの構造化と意味の創出についての研究(Goodwin, 2003; 2007; 2013; 2017など)の影響は大きい。本発表では、人びとが会話中に産出された身振りの構造や、表現対象が本来的に有する規範的構造などを利用してお互いの身振りを重ね合わせる様相を記述しながら、状況に合わせて諸資源を柔軟かつ巧妙に編成することのできる社会成員の相互行為能力を鮮やかに描き出す道具を与えてくださったCharles Goodwin先生を偲びたい。
細馬宏通氏「犬の散歩と相互行為的環世界」
従来のアフォーダンス論や環世界に関するさまざまな論考では、一人の人間があらかじめ環境に埋め込まれている手がかりをどのように使うかという問題が論じられることが多い。しかし、実際には、環境の手がかりはそれぞれの参加者にとって必ずしも所与のものでなく、むしろ相互行為の中で次第に明らかにされ、そのありさまは動的に変化していく。
2004年から2005年にかけての半年間、在外研修の期間をチャールズ・グッドウィンの研究室でお世話になった。講義やゼミだけでなく、昼食や車での行き帰りで彼と話すことで、単に身体で考えるだけでなく、複数の参加者が空間の中で考える重要性に気づかされた。今回は、グッドウィン夫妻とご一緒した犬の散歩での体験を手がかりに、参加者間で注意と意味をナヴィゲートしあうことで現れる相互行為的環世界について論じる。
北村隆憲氏「チャールズ・グッドウィンと法」
良く知られているように,グッドウィンの「プロフェッショナル・ヴィジョン」論文は,1992年にロス・暴動のきっかけとなった,いわゆる「ロドニー・キング事件」の刑事裁判の分析である.キング氏が警察官から激しい暴行を受けている場面を市民が撮影したビデオを,検察官は,警察の暴力の誰の目にも明らかな証拠として法廷に提出したが,起訴された4名の警察官側弁護人も,同じビデオを,警察官の適正な職務執行を示すものとして提出した.グッドウィンの分析は,専門家証人として出廷した逮捕術の専門家である巡査部長が,弁護人の質問に答えつつ,警察官がその時何を「見て」いたか(警察官がキングの行為を攻撃的と見なしていたとすれば実力行使が正当化される)について,コーディングやハイライティングといった技法によって,特定のやり方でビデオを見るやり方を教示する方法に着目する.そして,「プロフェッショナル・ヴィジョン(専門家の見方)」は,警察コミュニティーに属する実力行使の専門家である警察官が何を知覚したかを権威的に語る権能を有するこの巡査部長のように,専門職の有能な一員として適切な場面で相互反映的に状況に埋め込まれた実践を用いることを通じて達成されるとする.
こうした専門家証人の方法は,他者の提供する材料を使って創造的に新たなものを作り上げる,周辺世界を再編成して習慣的に生起する活動を行うために状況や場面を構造化する能力こそが人間認知にとって中心的な能力であるという,グッドウィンの最後の著書「協働的行為Co-operative Action」(当該論文も第24章として所収されており,グッドウィン自身は「知識と経験の組織化実践の政治的側面」を扱ったものとする)を貫く主張にも直接結びつく分析でもある.
グッドウィンはロー・スクールに1年間在籍して法を学んでいたものの,彼の多くの論考の中で,「法」的場面を扱うものはこれのみである.本報告ではこの論文の分析に焦点をあてつつ,①当該分析との比較における,キング事件(裁判)についての当時の米国の知識人の見方,②グッドウィン分析がその後の「法のEMCA分析」に与えた影響,③グッドウィン分析に対する法学者からの批判,④グッドウィン分析に対するEMCA内部からの批判,などについて議論する.