概要
EMとは何なのかという大問題に関連して、昨年12月の定例研究会大会の書評セッションの中で編者や筆者のコメントとして強調されていたことなのですが、EMとはガーフィンケルやサックスに常にさかのぼるべきものだという考え方があります。私もEMとはガーフィンケルのアイデアをどう理解してゆくかの研究領域だと思っています。その点において、何度も社会学とEMあるいはガーフィンケルの関係は再検討すべき問題だと思われます。
この点について、博士論文『ドロシー・スミスの「フェミニスト社会学」―性別の捉え方・論じ方の形式をめぐって―』を昨年、物された上谷さんに話してもらうことを企画しました。D.スミスにとって社会学とは何であり、そしてガーフィンケルとは何だったのかを、スミスのフェミニスト社会学を理解する上でのポイントを指摘していただく中で、EMの或る理解を提示してもらいたいと考えております。(文責:椎野信雄)
日時 | 2005年4月24日(日)13時ー17時 |
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場所 | 場所:成城大学731教室(7号館3階) |
発表者:上谷香陽
ドロシー・スミスの社会学の読み方──H・ガーフィンケルとの接点を手がかりに──
- ドロシー・スミスの社会学の輪郭
- 「事実報告(factual account)」をめぐる問いの所在
コメンテーター:中村和生・池谷のぞみ
発表者のメッセージ:
この報告では、カナダの社会学社ドロシー・スミスの社会学に対する、一つの読み方を試みたい。スミスは、1970年代以降、「フェミニスト社会学」「制度のエスノグラフィー(institutional ethnography)」「知識の社会的組織化(social organization of knowledge)」などを主題に社会学的探究を展開してきた。その業績は、少なくとも北米の社会学においては、高く評価されているといってよい。その一方、これらの主題となる概念を含め、スミスの議論において用いられるキーワードのそれぞれには、独自の意味が込められている。それゆえスミスの 議論の読解は一筋縄ではいかないものがある。たとえば、スミスは自らの社会学的探究を、「女性の観点(women’s standpoint)」からの社会学をめざすものだと主張する。しかし、この「女性の観点」ということで何を言わんとしているのかということ自体が、論争の争点になっているのである。この報告では、スミスが多様なキーワードを考案しながらいかなる社会学的な問題を設定しようとしているのか、彼女の議論の根本的な視点の置き方とはい かなるものか、ということについて考えたい。そしてその際に、一つの有効な補助線となるのが、スミスとガーフィンケルの接点を探ることであると考える。 スミスはガーフィンケルのエスノメソドロジーから、社会的事実の成り立ちについてどのような発想を得たのか、本報告ではこの点に焦点を合わせてみたい。
担当世話人:椎野信雄・池谷のぞみ