エスノメソドロジー・会話分析研究会: 2022年度春の例会・短信

第一部 自由報告

照沼花菜氏(常磐大学)

「見るハラ」に関するネット上の記述に於ける、女性に対する二次被害的な差

「『見るハラ』に関するネット上の記述に於ける、加害者擁護と被害者非難の方法と性別による身体の扱われ方の違い」というタイトルで、卒業論文の一部について報告いたしました。

「見るハラ」とは、「露出の高い格好をした女性を性的な視線でじろじろ見るハラスメント行為」と言われています。2022年の夏には、「めざまし8」などのテレビ番組をきっかけに、SNS上で「見るハラ」に関する活発な議論が繰り広げられていました。

卒業論文では、「見るハラ」 に関するネット記事2件とネット記事に対して読者がつけたコメント1件をデータとしております。ネット記事の見出し・ネット記事の本文・ネット記事に対するコメントを対象にエスノメソドロジーの分析手法を用いて、分析・記述を行いました。本報告では、そこから明らかとなった「加害者擁護と被害者非難の方法」を5つ報告いたしました。

  1. カテゴリーの対比

相反するカテゴリーを対比して描くことで、対立するカテゴリー間での認識の違いが「見るハラ」の根本的な問題であるのだと読者に印象づける。

  • 論点の拡大と希釈化

「見るハラ」の論点を拡大し、広いカテゴリーとして捉えることで、「ルッキズム」という異なる概念を議論に入れ込む。これにより、「見るハラ」における女性のみが被害に遭い、女性のみが性的な視線で見られるという問題性を希釈化する。

  • 「見るハラ」の責任の所在を男性から女性に転嫁

「服装の自由」などを理由に、男性から女性へ「見るハラ」の責任を転嫁する。これにより、「見るハラ」被害を受ける原因や責任を被害者である女性に課そうとしている。

  • 社会的な問題から個人の問題に帰結

実際の「見るハラ」被害の状況について言及しないことにより、「見るハラ」があたかも社会的な問題ではないかのように記述する。このようなスタンスで議論を展開し、かつ被害者である女性に「見るハラ」の責任を転嫁することで、「見るハラ」が個人の認識やモラルの問題として帰結されている。   

  • 「被害者の記述する『見るハラ』」への無関心

被害者女性の声とネット記事の著者が引用したコメントとの間に矛盾が見られた。こうした矛盾は、「見るハラ」被害の現状を厳密に押さえずに、男性を擁護することから起きたと考えられる。著者は男性の擁護と被害女性の声の抑制を行うことによって、徹底して被害者女性の声に対する無関心を貫き、「見るハラ」被害を低く見積もり続けている。

また、データの記述と「加害者擁護と被害者非難の方法」に関する分析を行う過程で見出された「『見るハラ』の記述と性別カテゴリーとの連関」についても報告いたしました。「見るハラ」に関するネット上の記述から、女性の身体とは性的な視線に晒される対象であり、男性の身体よりも「性的」という特徴を強く帯びていると読み取ることができました。分析から導かれる性別による身体の扱われ方の非対称性について、具体的なデータを示しながらご紹介できたのではないかと思います。

発表後には大変貴重なご質問とコメントをいただき、とても感謝しております。その中で、「『見るハラ』の記述と性別カテゴリーとの連関」において私が述べた「女性というカテゴリーと『見られる』という述部の結びつき」について、分析対象としたネット記事では敢えてそういった結びつきを切り離し、女性の側には「見せる」という活動を、男性には「見てしまう」という活動を帰属するという操作が行われていたというコメントをいただきました。こうした操作が両者の間の非対称的な関係性を見えにくくしてしまう、というご指摘により私自身に見えていなかった分析対象の新たな分析可能性を見出すことができました。また、「方法」という言葉の使用についてをはじめとして、いただいた他のコメントに関しても改めて検討していければと思っております。

最後に、まだまだ勉強の足りない未熟な私に貴重な報告の機会を与えてくださったこと、御礼申し上げます。世話人の皆さま、質問とコメントをくださった皆さま、指導教員の西澤弘行先生はじめ、樫村志郎先生(神戸大学)のEMCAセミナーの皆さまなど、ご指導くださった皆さまに心から感謝いたします。

藤杏子氏(立教大学)

「なにもしない」こと―実際の依頼場面においての検討

この度は、貴重な報告の機会をいただきありがとうございました。また、当日はフロアからたくさんの質問をいただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。

本報告では、「“承認された聞き手”として、相互行為を維持する」ことと「なにもしない」と称する個人がどのように両立しているのかをテーマに報告を行いました。対象は、Twitterで活動しているレンタルなんもしない人(以下レンタルさん)という「なにもしない」とサービスを提供する個人と、そのサービスを依頼した依頼者との実際の場面を録音したビデオデータです。検討したデータは、「お金の開封に付き合う」という依頼内容で録画した136分の動画のうち、レンタルさんが自己選択によって発話した8会話を対象としました。この自己選択の会話を選択した理由としては、自己選択の発話こそがレンタルさんの「なにもしない」という名目がゆらぐ場面であり、特徴的な場面でもあったからです。

これら会話を検討した結果、2つの特徴が見られました。それは1)ターンデザインの最小化、2)関与分散です。1)ターンデザインの最小化は、形式的な部分で自己選択の発話が文章ではなく単語である点になります。特に発話のデザインは、繰り返し相手から反応を求められた場合も最小限の発話の変更がなされていました。逸脱事例としては、文章で発話する場合であり、その場合はレンタルさんの役割に結び付いた活動と関連した発話内容であって、依頼者も理解した上で「なにもしない」として進められていました。2)関与分散は、自己選択による発話の場合はレンタルさんがスマートフォンへ指先を残す、徐々に離すなどの関与を依頼者以外に示し続けていた点です。これらの特徴から考察した点としては、スマートフォンの関与によって西阪ら(2013)が示したような、「ながら」で会話を行うことによる負荷の軽減として機能していることや、発話を最小化することと臨床心理士の用いる傾聴の手法との共通が見られるのではないか、という2点になります。

質疑応答では、私自身では検討しきれなかったデータの解釈や、単語タイプと文章タイプで分けることの妥当性についてご質問いただきました。加えて、より「なにもしない」にフォーカスするならば依頼者の発話の形式の特殊さ、「現在の話し手から、次の話し手へ選択する技法が含まれ、次の話し手がそれを受けての発話を始めた」の場合などを検討しても良いのではないかというアイデアをいただくことが出来ました。今後検討していきたいと思います。

文献:
西阪仰・早野薫・須永将史・黒嶋智美・岩田夏穂,2013,『共感の技法: 福島県における足湯ボランティアの会話分析』, 勁草書房.

第二部 保健医療のEMCA

樫田美雄 氏

EMCA研究会の2022年度春の研究例会で報告した樫田です(2023年3月11日の報告時は、神戸市看護大学所属でしたが、2023年4月に異動して、今は摂南大学・現代社会学部所属です)。当日は、司会団(立教大学の前田泰樹氏と吉川侑輝氏)の行き届いたサポートのもとで、2冊の本(拙著『ビデオ・エスノグラフィーの可能性――医療・福祉・教育に関する新しい研究方法の提案』と河村裕樹氏著『心の臨床実践――精神医療の社会学』)の両著者が相互に相手の本を批評し、ついで、著者本人からのリプライが行われ、さらにそのあと、フロアを交えて討議するという形で研究会が進行しました。新しい様式の合同書評セッションでしたが、発見のある、刺激的な企画になったと思います。

たとえば、『ビデオ・エスノグラフィーの可能性』も『心の臨床実践』も共に、エスノメソドロジー・会話分析系の博士論文をベースとした著書であり、さらに大雑把にいって、前半が理論編で、後半が分析編になっているという面で、似た感じの本です。けれども、その両著には、対比的な部分もあることが発見されました。樫田本の方は、樫田がもともとずぼらな性格だ、ということもあって、「構想」とか「概要」とか「提案」ばかりが多くなされていて、提案等の適否の吟味が不十分なきらいがあります。先行研究への言及が不足しているという指摘もありました。これに対し、河村本の方は、雑誌掲載の査読論文をもとにした章が多いこともあって、先行する諸研究の紹介が充実しており、今後の精神医療領域におけるエスノメソドロジー・会話分析研究のガイド書としての価値をも合わせ持つものになっていました。樫田からは、一部の分析に対し、別の分析の仕方もありうるのではないか、という指摘をさせて頂きましたが、河村氏からは、そのような読み替えもできるかも知れない(大意)という誠実な回答がなされ、研究会として感興が深まったかと思われます。

なお、今回は、保健医療社会学会との合同研究会ということでしたので、EMCAの領域に議論を閉塞させるべきではないと考えました。そのため、樫田はリプライの時間を使って「日本の21世紀人文・社会科学においては、政府からの要請として、無理矢理な学際的組合せを行ってでも、新規性のある研究を出せ、という無茶ぶりがなされて来ており、それを無視して知の自律的発展を試みようとしても、無理だと思う」という主張をし、いささか言い訳じみてはいますが、「そういう大状況をうけて、私は“ビデオ・エスノグラフィーはすごい”という“大言壮語”をしている」という主張をさせて頂きました。逃げ口上に聞こえたかもしれませんが、EMCA研究の未来を考える際の論点呈示にはなったかと理解しております。こんごとも、EMCAのことも、保健医療社会学のことも両方考えて行きたく思っております。ご指導ご鞭撻を賜れれば、幸いです。

河村裕樹 氏

このたびは、「保健医療のEMCA」という題目のもと、樫田美雄氏『ビデオ・エスノグラフィーの可能性――医療・福祉・教育に関する新しい研究方法の提案』と拙著『心の臨床実践――精神医療の社会学』の合同合評会を開催していただきましたことに感謝申し上げます。私は、『ビデオ・エスノグラフィーの可能性』の書評と、『心の臨床実践』に対する樫田氏からのコメントに対するリプライを行いました。

『ビデオ・エスノグラフィーの可能性』については、当日の司会を務めていただいた前田泰樹氏による企画趣旨説明にもありましたとおり、保健医療社会学においてEMCA研究が一定の位置を占めるようになっているなか、場面の成り立ちを詳細な仕方で分析することの意義を示しているという点において、重要な意義を有していると思われました。また、調査対象者らの知識を活用したデータセッションとして、リフレクションという手続きを明確化したことは、経験的データを用いる多くの研究が参考にするべき点であると考えます。他方で、先行研究の蓄積のうえに、樫田氏の書籍をどのように位置づけることができるのかということや、ビデオ・エスノグラフィーの新規性を強調するあまり、EMCAの方法論的態度と異なる議論がなされていることなどについて、樫田氏に質問しました。樫田氏からは、保健医療領域において社会学研究を切りひらいていくという目的のもとでの研究のあり様について、リプライいただきました。

『心の臨床実践』に対する樫田氏からのコメントでは、構築主義との関係や再分析によって示された分析の別のあり様について問題提起をしていただきました。前者については、医学的知識と向き合うことが当たり前になっているなかで、「仮面剥がし」的な構築主義研究は立ち行かなくなる可能性があること、それに対しEMCAは、堅実に研究を積み重ねていくことが重要なのではないかとリプライしました。後者については、本書の議論は実践の参与者によるアカウントの使い分けを記述したものであり、ご指摘いただいたような複数のアカウントを対立するものとして捉えているわけではないという旨のリプライを行いました。アカウントの使い分けについての議論では、本書での議論の運びに丁寧さが欠けていた可能性を改めて認識することができました。

フロアのみなさんとの議論では、エスノグラフィーとEMCAの関係や、近年増えつつある「仮面剝がし」を目的としない構築主義的研究とEM研究が取り結ぶことのできる関係などについて、幅広く議論することができました。それらを通じて、保健医療社会学においてEMCA研究が果たすことのできる貢献可能性について改めて確信することができました。

コメントをいただいた樫田氏のほか、初の日本保健医療社会学会関東定例研究会との共催を取り仕切っていただいた前田泰樹氏・吉川侑輝氏をはじめ、世話人のみなさまや会場のみなさまに厚く御礼申し上げます。