2019年度 春の研究例会

2020年3月28日(土)に予定されていた2019年度春の研究例会は新型コロナウィルス感染症予防のため延期となったため、報告予定だった方のうち、希望者について、本サイトでの発表予定資料の掲載をもって本例会での報告がなされたものとして取り扱うことにいたしました。以下が該当者の報告要旨と発表資料です。

自由報告

1. 「描くことの会話分析」鈴木南音(千葉大学)

本研究は,描かれた絵の意味が,いかに相互行為のなかで付与されるのかについて,明らかにするものである.

絵を用いて何かの説明がなされるさいに,説明の話し手が描いている絵は,その絵だけを見ても一義的にその意味が明らかになるとは限らない.たとえば,説明の中で描かれたウサギ=アヒル図が,ウサギとして理解すればよいのかアヒルとして理解すればよいのかということは,絵だけを眺めたとしても分からない.だとすると,ややもすれば,絵の意味は絵の側にあるのではなく,作品を受容する側の主観的な印象にすぎないように思えるかもしれない.しかし,そうとも限らない.たとえば,描き⼿が絵を描き終わったあとに,⾒る者が,絵の意味がよく分からないことを⽰すことがありうるだろう.そのとき,描き⼿は絵の⾒⽅について説明したり,場合によっては描き⾜したりすることがあるだろう.そして,説明や描き⾜すことは,⾒る者に新たな理解を促す.ここには,⾒る側が作品を変容させ,また,描く側も⾒る側の理解を変容させる,という相互反映的な関係がある.このように,絵が他⼈に何かを伝えるために描かれるとき,そこで⾏なわれている相互⾏為がその絵の意味にとって決定的に重要だということがありうる.

本発表が解明するのは,この,絵を意味付けするためのプラクティスにほかならない.すなわち,描く側と⾒る側の相互⾏為の中で,描かれる作品の意味がどのように間主観的に意味づけられていくのか,このことである.

取り扱うデータは,若い芸術家たちがアニメーションを制作するために打ち合わせをしている場面から収集した.そして特に,Schegloff (1980)が行なった「予備のための予備」の議論を参照しながら,描くことに先立って絵や図を構造化するプラクティスの解明を試みた.

[→報告資料]