2014年3月21日に行なわれた春の研究例会は今年も盛況のうちに終了しました。自由報告につきましては、当日の報告者の方々から報告を終えての感想をいただいておりますので、下記に掲載いたします。
なお、大会担当世話人からご依頼させていただくのが遅れたため、ご感想をご寄稿いただくことがかなわなかったご報告もありました。担当世話人の不手際をお詫びいたしますとともに、いずれのご報告についても活発な議論がありましたことを、報告者のみなさまおよびフロアの参加者のみなさまに、あらためて御礼申し上げます。(大会担当世話人:前田泰樹)
内容の詳細は→活動の記録(2013年度)をご覧ください。
短信 |
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自由報告
須永将史さん
2013年春に報告させていただいた研究例会では、在宅医療マッサージの活動を題材に、施術者が患者の「痛み」を相互行為的に発見していくことを観察した。
報告では、質問のデザインと患者の応答の優先性に焦点をあて論じた。「痛いですか」「痛くないですか」でそれぞれ異なってくる「同意」のあり方(「はい=痛いです」と「はい=痛くないです」)があると考えたとき、どのような資源を用いて施術者が自分の質問を「同意しやすいように」デザインするのか、明らかにすることを試みた。その資源のひとつとして考えられるもののひとつに顔の「表情」があることに着目し、表情をみながら、それに連動するように質問を組み立てるというプラクティスの記述を試みた。これにより、患者が同意しやすいように質問をデザインする、ということが可能性を示唆した。質疑応答では、断片に即した丁寧な質問をいくつかいただき、大変有益な報告をさせていただいたと思う。
またこのテーマには、EMCA内ですでに相当の蓄積があり、諸先輩方からは報告後も貴重なご意見が伺えた。重ねて感謝したい。
長谷川紫穂さん
2014年3月21日(金)に平成23年度の春の例会が実施され、自由報告において「言語構造によるレスポンスの違い:日英比較クイズロボットの実験から」という題目で発表させていただきました。
報告では、教室場面やミュージアムガイドなど多人数に対する説明や解説を想定したガイドロボットを用いた人間とロボットのコミュニケーション研究の一環として、2013年にイギリスのミュージアムで来館者を対象に実施した実験の結果に焦点を当て発表させていただきました。
従来の研究では、ミュージアムでのガイドにおいて有効な手段として人間が用いている指差しや解説中に謎を問いかけるといった社会的戦略をロボットの動作に応用することで、鑑賞者(実験参加者)の積極的関与を得られるという結果が実験室実験を中心に出ていました。これを踏まえ、今回そのことが実際のミュージアム来館者においても検証されうるのか、また多言語による相違点/共通点はあるのかという観点から調査を実施しました。実験は、ガイド(ロボット)がある画像を使って解説を行なう場面を設定しており、ビデオによる撮影と事後アンケートを行ないデータとして収集しました。
報告では撮影したビデオデータを用い、特に問題出題箇所において、実験参加者の知識を変化させることを目的としたキーワードが組み込まれた部分の分析を発表いたしました。実験結果からは実際のミュージアム来館者においても、キーワード箇所による反応と知識状態の変化が起こることが観察されました。また日本語と英語の間では、言語的構造の違いからキーワードの位置が大きくずれることとなり、そのことが参加者の反応自体あるいはその後の他の参加者との相談行動に違いを生じさせている点も見られました。またロボットの視線がネゴシエーションの契機として作用している点についても報告させていただきました。
発表に対してフロアからは、より直接的な比較としてロボットガイドと人間ガイドの同条件下での実験の可能性についてご意見をいただき、インタラクションという問題を扱う上での実験環境の統一という課題に対して、再考する契機をいただき大変貴重な機会となりました。
今回このような有意義な時間をくださいましたフロアの皆様、貴重なご意見をくださいました質問者の皆様、そして発表機会をくださいました大会世話人の皆様に、この場をお借りし感謝申し上げます。
谷川千佳子さん
2013年度EMCA研究会例会では「外来看護師による作業の組織化分析の試み」と題し、看護師たちがうまく仕事をやり遂げるために、看護師長は日常的に行う作業をどう組み立てているかについて報告させていただきました。外来看護師長が当該施設で担っている職務のうち、患者へのトラブル対応および、通常の外来診療とは異なる対応を要した診察を実現するために、いかに情報を集約し、時間・空間、人材をアレンジしたかについて分析しました。分析には小規模病院外来看護部門の看護師・看護師長を対象に行ったフールドワークで観察された医師と師長による会話とインタビューへの回答をデータとしました。通常の診療と異なる対応を「付番」看護師が医師に対してとることを師長が期待していたこと、師長と看護師の相互理解は果たされていなかったこと、師長にとっては看護師の力量をはかる事態となったこと、診療運営体制の乏しさを補うために看護師の力量でカバーしようとしているとみることができると考察しました。
フロアからは、師長はルーティンの教訓として発言か、組織を変えるための提案や叱責として発言したのかについて考察しうることからリーダーシップのエスノメソドロジーの観点での研究や、看護師長によるワークの研究として見ようとするところに積極的なポイントがあるとのご助言をいただきました。みなさまのご指導やご示唆を仰ぎつつ、さらなる検討をしていきたいと考えています。たくさんの貴重なご指摘をいただきありがとうございました。
團 康晃さん
EMCA研、春の研究例会にて、「このクラスは変われる:二つの生徒指導を通した「クラス」の方向性の提示を事例に」という題目で報告させていただきました。
学校の中で教師は、生徒に対し授業での各教科をはじめとする学習指導や進路指導を行う一方、生徒の日常生活についての指導として「生徒指導」と呼ばれる活動も行っています。本報告では、フィールドワークの中での参与観察を通して記録した、教師達の「生徒指導」の具体事例を扱いました。特に生徒同士の「からかい」に対する授業内で教科の教師によってなされた指導と、その次の日の帰りのホームルームにおいて担任によってなされた指導、この二つの指導に注目し、その活動の構造について分析を行いました。
それぞれの指導の組織を見てみると、先の授業における指導が、「教科の教員」が「からかい」を行っていた「特定の生徒」に向けて指導を行っていたのに対し、ホームルームにおける指導は、「担任」が「クラス全体」に向けて指導を行っています。
特にホームルームの指導において、担任は先日の「教科の教員」による指導に言及することなく、「最近のクラスの雰囲気」についてこのクラスの生徒の一人から問題があることが報告されていることを紹介し、それでもそういった担任への相談があることがこの「クラス」がより良い方向へ変わっていけることの根拠として示していたのです。これは、先日の「からかい」を「最近のクラスの雰囲気」の悪さとして想起させるリマインダーであると同時に「相談」があることを「クラスの雰囲気」が良いものとなる例証とすることで、クラスの変化可能性を示すものとなっていました。
以上の分析は、学校の中での多くの授業の連続とホームルームという構造化された時間の中での、「教科の教員」、「担任」といった構造化された〈生徒-教師〉関係の中でなされる、一つの指導実践の構造を示すものだといえます。
報告内容に対しては質疑応答時間などで様々なコメントをいただきました。特に、SHRでのクラスの担任としての指導が何をしているのか、あるいはその連続性が如何なる仕組みのもとになされているのか、といった点については多くの重要なご指摘をいただき、今後分析を続けていくなかでの大きな課題としていきたいと思います。
示唆的なコメントを下さった皆様、報告機会を下さった研究会に御礼申し上げます。
書評セッション
- 西阪仰・早野薫・須永将史・岩田夏帆・黒嶋智美 著『共感の技法』
第二部では、西阪仰・早野薫・須永将史・黒嶋智美・岩田夏穂による共著『共感の技法』(2013年、勁草書房)を対象とし、書評セッションを行いました。共著者を代表して黒嶋智美さんより感想をいただいておりますので、下記に掲載いたします。
本セッションでは、2013年7月に刊行された、「共感の技法」(勁草書房)を、樫村志郎先生(神戸大)と、串田秀也先生(大阪教育大)に書評をしていただきました。まだ研究者としての道を歩み始めたばかりの私たちにとっては、このような機会を取り上げていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。一方で、そんな私たちをしっかりと導いてくださった西阪先生、そして、樫村先生、串田先生という三人の大御所の先生が一堂に会するということに、ひそかに心躍らされてもいました。
まずは、樫村先生から、各章について大変丁寧な評論をいただきました。なかでも、印象的だったのが、マッサージの手順の違反に関する規範の理解について、ボランティアたちが、指示されたことだけを規範として理解していないのではないかというご指摘です。そこから、足湯活動に、より上位の規範があるという可能性や、規範が簡単に違反されはしないという志向性についての議論が展開され、大変面白かったです。また共感にまつわるジレンマ以外にも、住民の語りの中に、特定の共感を要請するようなやり方や、そうした様々な規範を確認しあわなければならないなかで、別のジレンマも関わっているのではないかともご指摘いただきました。そこには、被災の度合いをどう図るのかという、実質的な課題がボランティアに与えられているという可能性も含まれており、とても参考になりました。その他、内的地平の疎隔が話題提供に与える影響についてのご意見もとても面白く拝聴しました。
次に、串田先生から、非常に詳細な評論をいただきました。まず最初に、足湯活動の「神秘」の解明について、解決、立証されている点、まだ不十分さが残る点について鋭いご指摘をいただきました。複合構造ではあっても他の場面と比べるのであれば、それはエビデンスが必要なこと、また、複合構造であるから負荷を下げるというよりも、むしろ複合構造が参加者のふるまいのなかである一定の編成によって存在するということを記述するべきであるということが述べられ、大変勉強になりました。また、5章以降で中心的な概念として扱われる「共感」について、経験のリアリティの中で、どう記述するのかという問題は本質的であるとおっしゃられたのが印象に残っています。また、態度表明が共感することをどこまでレリヴァントにするといえるのかというご指摘はこれからさらに、住民の語りを分析していく上で重要であると感じました。また、日本語の「共感」という概念で想起されること、同意や協調的と異なる固有性が何であるのかを考えなければいけないというご指摘も大変ごもっともであり、私たちがまさに分析上感じていたことでもあったように思います。まさに、串田先生が、「共感」に含まれる、より丁寧に区別されうる・べき行為・活動についての記述を、共感できない場合に、「人がいかにして共感する以外の形で」協調的にふるまっているのかを問題として扱うことで考えたほうがよいというご意見はとても示唆に富むものでした。また、そのひとつの可能性になりうる、「焦点をずらす」というプラクティスが用いられているというご意見は、ボランティアの、たくみにずらしながら相手に合わせるという慎重さという、私たちが分析上抱いていた直感と合致するものでした。
3時間近くに及ぶセッションで、両先生以外にもフロアの方から、いくつも大変参考になるご意見もいただけ(特に、傾聴ボランティアに関するご意見は印象に残っています)、著者として、また研究を志すものとして、勉強になることばかりの、とてもいい経験になったという思いです。両名の先生方と、セッション参加者の皆様に、重ねて御礼申し上げます。
(西阪、早野、須永、岩田、文責:黒嶋)