会話分析とは(黒嶋 智美)

 私たちは、社会生活にかかわる様々な活動の大部分を、会話によって行っています。ここでいう「会話」の中で使われるものには、発話によるものだけではなく、会話参加者が相互行為を行なう上で資源として利用するものすべて(たとえば、視線や表情から、身振り、文脈など)が含まれます。それまでに社会学や言語学では中心的に取り扱われることのなかった「会話」を、それ自体が科学的探求の対象であるとし、また、会話が組織だっていることの詳細そのものが、発話によってどんな行為がどのように達成されているのかを参与者が認識するための資源であることを見出したのが、ハーヴィ・サックスでした(Silverman, 1998) 。サックスは1959年にカリフォルニア大学バークレー校社会学部博士課程に入学後、数年前から交流を持っていたハロルド・ガーフィンケルや、もともと彼の指導教員だったアーヴィン・ゴフマン(後にアーロン・シクレルに指導教官が変わる)らから多くのことを学びつつ、特に、ガーフィンケルが後にエスノメソドロジーとしてまとめあげる、日常的活動における人びとの方法論という着眼点(Garfinkel, 1967)に関心を寄せていました。サックスは、1963年に、ガーフィンケルに招かれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)社会学部の助手と、ロサンゼルス自殺科学研究センターの研究員とを兼任し、自殺防止センターへの電話会話録音テープをデータとして入手すると、本格的に会話の研究に着手していきました。バークレーの同僚だったエマニュエル・シェグロフは、サックスがロサンゼルスに移ってからも継続して議論を重ね、「会話分析」の誕生に寄与しました。シェグロフは、1975年のサックスの早すぎる事故死以降、会話分析の方法論の整備、分野の体系化・普及に務めた会話分析の開拓者のひとりでもあります。また、サックスのリサーチ・アシスタントを務めた、当時学部生だったゲール・ジェファーソンも、サックスの指導学生として学び、緻密な分析に裏打ちされたいくつもの発見を行い、またトランスクリプトの転記方法を開発したことで、会話分析に多大な貢献を残しました(田中,1998)。

 シェグロフは、サックスが最初に会話データを分析した論文を初めて目にした時の興奮と、今まさに芽生えようとしている新たな会話の研究手法をどのように確立していくか、手探り状態でしかなかったことへの不安な気持ちを後に振り返っています(Schegloff, 1992)。サックスはまず、自殺防止センターの相談者が、電話の冒頭でいかに名乗らないことを達成しているのか分析した論文をもって、1964年の秋学期から、会話分析の講義をはじめていきます。64年から68年までのUCLA時代、また68年から75年までのUCアーバイン校時代に行った講義は、ジェファーソンによって文字化され、録音テープとともに研究者の間で共有されていくこととなりました。当初は研究者間でのインフォーマルな共有でしたが、1992年にまとまった形で出版された講義録は出版物の少ないサックスの残した遺産であり、会話分析のエッセンスが詰まった膨大なレファレンスでもあります。講義録の第一部は、単一の事例を対象にひとつの現象を観察可能にしている仕組みの記述を主に行っていますが、徐々に複数の類似事例を集めて研究を進めていくように第二部では変化していきます(Silverman, 1998) 。

 会話分析の研究プログラムでは、ある特定の行為がいかにして組織だったものとして産出されているかを経験的に詳しく記述していきます。会話分析は、人びとが一般的な期待に基づき、日常生活の行為や活動を組み立てていくのに運用するそのやり方(プラクティス)にその照準を合わせています。たとえば、「誘い」を例にするならば、会話分析で立てる問いは、社会の成員たちは「誘い」を、どんな発話の構成(composition)(発話デザインという言い方もできます)で、どのような会話上の位置(position)で行っているのか、そしてその行為がいかにして適切なふるまいになっているのかといったものになるでしょう(Pomerantz & Fehr, 2011)1。会話分析の中心的な問いである「なぜ今ここでその発話がなされるのか(Why that now?)」では、そのようなやり方(発話デザインと会話上の位置)が採用される合理性や適切性はどのように可能になっているのかを解明していきます。たとえば、職場で初めて顔を合わせる場合に適切なあいさつの仕方を私たちは知っています。もし一般的期待に沿わないようなあいさつをした場合には、相手からそれに対してアカウント(説明)が求められるかもしれないし、あいさつ以外の行為としてなされている可能性が模索されるかもしれません。そういった意味での「適切さ」が規範的に行為の産出と理解に関わっているのです(Pomerantz & Fehr, 2011)。

 さらに、会話参加者にとって、一つ一つの行為の産出と理解のために、文脈が非常に重要であるのは、第二節で解説された「文脈依存性」があるためです。ある行為を理解するために、行為を文脈に結びつけて私たちは捉えています。またその理解に基づき適切な次の行為を産出するという意味で、一つ一つの発話が文脈を新たに織り成しているという捉え方も可能です。

 会話分析では、エスノメソドロジーと同様、相互行為の参与者自身の視角に対して忠実であろうとします。ある振る舞いは、私たち参与者にとって(そして派生的に分析者にとって)秩序だっていて説明可能なやり方で産出されています。つまり、会話参与者は、場面や状況に特有の偶然性に対して常に注意を向けつつ、相互行為がどのように進行しているのか、また今この状況で何が起こっているのかに対する理解がその場の参与者にとって明らかになるような行為を産出しているのです。分析をする際には、分析者の理解だけではなく、参与者らにとって何が実践的課題になっており、それがどう対処されているのかが重要な視座になります。このこともおさえておきましょう。

 以上を通じてみてきたように、会話分析研究の主眼は行為の組み立て、あるいはそれを通じた会話という社会的活動のやり方の解明にあるのであって、言語そのものの仕組みにはありません。一方で、言語に対する関心から、会話分析について知りたいと思われた方も多くいらっしゃるでしょう。実際、会話分析は会話のやり方における言語の機能的側面(たとえば,文の構造や音韻など)を明らかにすることによって、言語学の領域にも貢献を収めてきました(Ochs, Schegloff & Thompson, 1996)。言語学の中で会話分析と同様に、実際の日常場面で行われている言葉のやり取りをデータとして使う分野として、談話分析(Discourse Analysis)があります。談話分析との比較でいうと、談話分析が分析の結果を言語の普遍的な機能として還元する(たとえば「○○という言語表現は△△という機能をもつ」)のに対して、会話分析はある相互行為上の「位置」に置かれた一定の言語表現を、行為のやり方として記述することを重視します。このように会話分析は、社会学としての方針を貫きながらも、言語学をはじめとした、言語やコミュニケーションに関わる様々な分野にも貢献しうる可能性をもつのです。(黒嶋 智美)

  1. サックスが考えていたもう一つのプログラムである、成員カテゴリー化装置(Membership Categorization Device)の分析では、グループセラピーに新たに参加するため到着したばかりの若者に対して、自己紹介のあと、すでにセラピーに参加していた者が「いま車について話していたんだ」と報告する発言が、セッションへの可能な「誘い」になっていることを論じています。これは10代男子というカテゴリーに結びつく「車について話す」という活動が記述され、同じ10代男子として聞き手を扱うことが適切であるためだとサックスは分析しています。この事例でも活動のどの「位置」でどんな発話「構成」(ここではカテゴリーの使用も含む)によって「誘い」がなされたのかが認識可能になっています。また、この発話がいかに「受け手に合わせた形でデザイン」されているかも見て取れます。

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