エスノメソドロジー・会話分析研究会: 2014年度秋の大会・短信

2014年度秋の研究大会が、2014年10月12日に立命館大学にて開催されました。この研究大会では通常の報告に加えて、昨今の研究情勢を踏まえた「キャリアパスセッション」、林誠先生によるご講演と盛りだくさんでした。登壇いただいた皆様による当日の概要・感想をご紹介します。(編集 平本・秋谷)

内容の詳細は→活動の記録(2014年度)をご覧ください。

短信

第一部・第三部 自由報告について

森本郁代さん(関西学院大学)

本報告では、3人以上の参与者による会話において、話し手が受け手の一人が関わる過去の出来事を語る時に、その受け手に対して指さし(pointing)を行うというふるまいを記述し、指さしが、語られている出来事に関する受け手の「認識的優位(epistemic primacy)」(Hayano, 2013)を示す手段として用いられていることを議論しました。指さしというふるまいは、物理的な空間における人や物、場所、方向だけでなく、その場に存在しない抽象的な対象を指し示す手段としても用いられていることが従来から指摘されています。本報告が扱った指さしは、対象を「指し示す」手段というより、話し手が語っている過去の出来事の「帰属先」として受け手を指示していると考えています。本報告では、こうした話し手の指さしが、自分が語っている出来事に対する受け手の認識的優位を示すものであることを述べました。フロアからは、指さしがアドレスの手段としてではなく、出来事の帰属先として聞き手の一人を指示していることを主張するには、視線の向きをもっと詳細に分析すべきだというご意見、epistemicsの観点がこのふるまいの記述において妥当なのかどうか、また、話し手がこの指さしによって達成している行為の記述の必要性など、さまざまな貴重なご指摘をいただきました。いただいたご指摘をもとにさらに分析を深めたいと思います。ありがとうございました。

中川敦さん(島根県立大学)

この2年ほど、わずかなケースですが、遠距離介護者が参加しているケア会議に参加し、またそのビデオデータを繰り返し見ている中で、支援者さんの中に、家族の反応を慎重に見ながら、その反応に合わせて巧みにコミュニケーションをとられる方がおり、そうした巧みさが、ケア会議の意志決定過程を円滑に進めることに寄与しているのでは、という感覚を持つようになりました。そうした支援者さんのコミュニケーションの巧みさについての私の感覚をよく現しているのが「ターンの区切れの後の引き取り」という現象だと思い、今回報告させていただいた次第です。

フロアの皆さんからは、多くの参考になるご質問やコメントをいただきました。「ターンの区切れの後」であることについては、「ターンが区切られていない」場合と、システマティックな相違があるのかというご質問には、当日は十分に答えることができませんでした。補足をさせて頂きますと、私としては、「引き取り」が「ターンの区切れの後」であることは、「引き取られ手」が「引き取られる」機会を積極的に作り出しているという側面が強いように思っています。素朴な言い方ですが、それは相手の反応に合わせるために作られた機会に、相手もまさに寄り添うように反応を合わせてきているという意味で、互いの協調性が非常に強く出ている現象ではないかという直感があるのです。こうした直感が正しいのかどうかについては、より多くのデータを丁寧に見ながら、また先行研究をもっと丁寧に読み進めながら考えてみたいと思っています。

「引き取り」が誰に対して向けられているのかに注目すること、その際、たとえば、「引き取り」の文末表現といった言葉の組み立てに注目することが重要であるという、今後の分析を深めていくためにとても有用なサジェスチョンもいただけました。ありがとうございます。

「引き取られる発話」、「引き取りの発話」、その後の発話、それぞれがどのような行為を行っており、そこにはどのような連鎖的な関係があるのかについても考えていく必要があることを、実際の観察に基づき丁寧に示していだきました。まだまだ会話分析の初学者である自分には見えない観察に、目から鱗が何枚も落ちる気持ちでした。

またご質問のあったケア会議の全体構造の分析も、こうした細かなプラクティスの観察を積み重ねつつ、いずれは行ってみたいと思っています。今後ともご指導どうぞよろしくお願いします。

劉礫岩さん(滋賀県立大学)

「カーレースの実況中継における新旧活動のマネジメント」というタイトルで報告させて頂いた。従来の実況中継研究の多くは、主にアナウンサーの発話に注目し、解説者はどのように出来事の記述に参加できるかはほとんど論じられされてこなかった。本発表では、カーレースの実況中継において、解説者はどのように「response cries」を使って出来事の存在を前景化し、出来事の記述活動を組織化するかに注目した。具体的には、「response cries」+「発話」という通常1人で行われる発話フォーマットが、複数の参加者によって産出される現象に注目した。それまで続いていたコメント発話の途中で、その話者ではない解説者が「response cries」を発し、実況中継にとって緊急性の高い出来事をマークするが、出来事の記述を行わない。ほかの参加者(実況アナウンサー、解説者)はそれまでのコメント発話をすばやく切り上げ、新たに現れた出来事の記述をアナウンサーが積極的に行う形で、参加者たちの発話活動が組織化される。その中で、「アナウンサーが出来事の記述を行う」ということが参加者たちに志向される。また、最初の「response cries」のあと、ほかの参加者もまた「response cries」で驚いて見せることで、新たな出来事の記述は協調的に行われる、といった趣旨の報告を行った。

フロアの方からは複数の質問を頂いたが、それに満足にお答えできず、自分の技量の足りなさを改めて思い知った。また、高田先生から貴重なコメントだけでなく、発表後も議論を交わして頂いたことが印象深かった。この貴重な経験を是非今後の研究に生かしたい。

藤原信行さん(立命館大学)

今回「自死遺族らによる自殺動機付与・責任帰属活動と動機の語彙・成員カテゴリー」という論題で報告させていただきました。本報告は、同居親族Aさんの自殺の責任をめぐって十数年間対立しつづけてきた彼の母Bさんと妻Cさん、および亡くなった方の職場の上司Dさんに実施したインタビュー結果を検討したものになります。

BさんとCさんは、脳卒中により働くことのできなくなったAさんにたいする情緒的な配慮(ケア)を怠ったという〈過失/不作為〉を彼の自殺動機として付与し、互いに責任を追求/帰属しあっていました。このことは、〈家族〉というカテゴリー集合、〈妻−夫〉〈母−子〉〈同居親族−同居親族〉といった「標準化された」関係対、それらの関係対のあいだで適切とされる〈権利〉〈義務〉〈活動〉といった述部を用いてAさんの自殺という出来事を記述することにより、可能となって/されていました。〈家族である〉ということが、両者の争いを可能としていたとも言えるでしょう。他方で家族ではなく上司であるDさんは、Aさんの自殺に適切な動機を付与できず、誰にどのような責任があるのかも明らかにできないままでした。

スピリチュアリズムに基礎を置く死生学の研究者やグリーフケアの研究者・実践者たちは、自死遺族たちが責任帰属をめぐる争いに巻き込まれ苦しんでいることを指摘しています。その指摘自体は適切ですが、上記の争いと苦しみを、もっぱら人びとの偏見という個々人に内属する悪い〈心/こころ〉の状態により引き起こされていると記述している/すべきであるとしていることには問題があります。これでは〈ほんとうの心〉をめぐる水掛け論におちいり、その争いと苦しみを経験的かつ論理的に記述できません(挙証責任を果たせないので)。今回の私の報告は拙劣なものでしたが、それでも、自死遺族らの成員カテゴリー化装置の使用に焦点を当てた経験的記述がエスノメソドロジー研究としても、自殺研究としても興味深いものだということは理解していただけたと思います。

最後になりますが、当日は質疑応答の時間,報告終了後,さらには懇親会の場において,参加者の方々から有益な指摘をいくつもいただくことができました。すぐさま反映させるということはなかなか難しいのですが、今後の研究の改善に資することは疑いありません。ありがとうございました。

張承姫さん(関西学院大学)

「褒めと褒めに対する焦点ずらしの応答」というタイトルで報告させていただきました。本報告の目的は、第一に、褒めのジレンマを解決するために、褒めに対する焦点ずらしの応答が用いられることを提示し、第二に、話し手の評価対象によって褒めに対する聞き手の応答が異なってくることを提示することでした。

本報告で注目した褒めに対する焦点ずらしの応答とは、褒められた側が自画自賛を回避するため、ポジティブな評価の対象を別の側面にずらして応答するやり方です。従来の日本語における褒めの研究は、褒め手の評価対象のタイプを区別せずに褒めの応答を分析してきましたことに対し、本研究は、褒めの発話の評価対象のタイプを「聞き手自身」と「聞き手が属するもの」とに区別し、異なる評価対象のタイプによって異なる応答・異なる焦点ずらしの応答が行われることを明らかにしました。この報告後、西阪先生と林先生と川島先生、三人の先生の方からコメントをいただきました。とくに、西阪先生からは褒めに対する不同意の反応と焦点ずらしの応答の関係性について、つまり、なぜ「いやいや」などのような不同意ではなく、焦点をずらした不同意を示す必要があるのかというご指摘をいただきましたが、その場でちゃんと答えられなかったため、この場を借りて答えさせていただきたいと思います。

自画自賛を回避するため焦点ずらして不同意を示すことが見られるのは、褒めのジレンマを解決するためであると考えられます。「いやいや」と不同意を示すのは、自画自賛を回避することは可能であるかも知れないが、「評価」に対して好まれない応答(「評価」に対して好まれる応答は「同意/受諾」の応答)であります。しかし、「過去の自分はある能力があったが、現在の自分はない」と示していることは、過去の自分はある能力があったということを認めており、「褒め」に対して完全に不同意は示していないということになります。すなわち、焦点をずらして応答するということは、褒めのジレンマを解決するためもう一つのやり方であると考えられます。

改めて、本研究において有益なコメントいただいた三人の先生の方に厚くお礼申し上げます。今後ともご指摘を踏まえて研究を進めてやっていきたいと思います。

杜長俊さん(筑波大学)

質問や依頼という行為を予示させた発話の直後に、指示表現にかかわる受け手の認識を確かめる現象について報告させていただきました。本報告が取り扱う現象は、指示表現を下降調のイントネーションで産出し、それと同時に発話順番を完結させるものであり、この点において先行研究で注目されている現象(認識探索など)と異なっている。具体的に言えば、依頼や質問という本題行為を予示させた後に、指示表現にかかわる認識の問題がないという想定を示しているものの、その想定を踏まえて指示表現の産出に続けて本題行為を行わず、むしろ発話順番を相手に渡している。このように、本題行為の産出に向けて慎重な態度を示す一方で、その行為に関わる指示対象について生活史の水準で共通認識がある想定について受け手の反応を得ようとしている。この特徴から、受け手は、単に認識できることを主張するだけではなく、両者の生活史を参照し本題行為がどのように話し手にとってデリケートなものになっているのかについて察するような反応が期待されると言えよう。

以上の分析は、報告当日に頂いたコメントにより、次のようにさらに発展する可能性が感じられていた。第1に、pre-delicateに関するSchegloffが捉えている現象との相違点についてである。本報告の現象は、本題行為の産出に先立ち、その行為がデリケートなものになっているという理解を察する機会を受け手に与えるという点が特徴的である。第2に、指示表現に関わる生活史レベルの共通認識についてである。本報告で取り扱う事例の中で、「お祝い」というような生活史に密着した言葉に対して、「プリンターのインク」というような、特定化を加えなければ、極めて一般的な言葉もある。後者の現象について、どのような生活史レベルの共通認識がどのように参照可能になっているのかについて、より厳密に考察する必要がある。第3に、本題行為に向けて慎重な態度を示すという部分である。質問と依頼という本題行為は、異なる種類の行為であり、話し手が慎重な態度を示すことによりもたらされる含意が異なっていると思われる。今後は事例を増やすとともに、行為タイプとの関連での新たな示唆が得られると考えられる。

第二部:キャリアパスセッションについて

平本毅さん(京都大学)・秋谷直矩さん(京都大学)

2013年度研究会大会テーマセッション「若手研究者が語るエスノメソドロジー・会話分析研究の未来:現場還元の可能性」では、現状、EMCA研究を進めている若手研究者を巡るアカデミアや社会的状況の実態を知ることの重要性が提起された。具体的には、(1)他領域・複合領域におけるPDというポジションへの移行の増加というEMCA独特のキャリアパスの出現、(2)常勤ポスト獲得競争の激化や、(3)近年の大学改革、以上3点のなかで、EMCAの若手はどのようにそれを受け止め、自身のキャリアを紡いでいるのか、ということである。以上を踏まえ、最近ポストを獲得された小宮友根氏(東北学院大学)、海老田大五朗氏(新潟青陵大学)、川島理恵氏(関西外語大学)にご登壇いただき、それぞれの状況を語っていただいた。

小宮報告(敬称略)は、エスノメソドロジー・会話分析そのものの科目は多くの大学には設置されていないという点を踏まえたうえで、自身の研究と、公募要件で提示された科目との適合性の担保についての報告であった。また、どのような状況下においても、「研究を続け、アウトプットを出し続けること」が強調されていたことは大変印象深いことであった。

続く海老田報告は、専門職養成校にEMCA研究者がアプライする手段と、採用後、そこでの実習指導をどのように実践していくのか、という2点についての報告であった。そこで強調されていたのは、教員採用にかかる施策の変化をチェックし、それに合わせたキャリア構築の戦略を講じることの重要と、EMCA研究者が習得している「実践の記述」のスキルは、そのまま専門職養成の実習指導に役立つということだった。最後の川島報告は、海外留学後の進路についての報告であった。そこで力点が置かれていたのは、「研究分野が自身の専門知識として扱われる」ということであった。つまり、研究対象が包含される分野の専門家として就職戦前に立つことになるため、EMCA以外の展開についても押さえておくことが重要ということである(同様のことは、小宮報告でも触れられていた)。

いずれの報告にも共通していたことは、EMCA研究を通して獲得した「実践の記述」スキルの有用性と、研究対象の分野に対する広い知識の必要性である。一方で、若手の就職をめぐる状況の厳しさは3報告すべてからにじみ出ていたことも事実である。研究分野の生き残りは研究者の生き残りと不可分であることを考えれば、この点についてどのような支援策があり得るかを考え、実践していくのかがEMCA研の今後の課題であろう。

第四部:講演について

林誠先生(イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校)

「Collateral Effects(付随効果)と相互行為言語学の展望」と題して講演させていただきました。近年、会話分析の広がりとともに多言語間の比較研究がさかんになる中、Sidnell & Enfield (2012) が提案した「CollateralEffects(付随効果)」という概念は、今後の会話分析・相互行為言語学研究のひとつの方向性を示してくれるものとして重要だと考え、本発表では付随効果の概念の紹介、およびその批判的検討を試みました。Sidnell & Enfield (2012) の提案は非常に示唆に富むものの、概念的・方法論的に詰め切れていない部分もあり、今後、各言語での詳細な研究をもとに知見を蓄積していくことで検証しなければならない概念だということを、指定討論者の鈴木佳奈さんを始め、フロアの多くの方々と共有できたのではないかと思います。EMCA研参加は今回が初めてでしたが、非常に貴重な議論の機会を与えていただいたことに感謝したいと思います。