2015年10月24日に行なわれた秋の研究大会は、特別講演をしていただきましたJ.ヘリテッジ先生、D.メイナード先生を含めて、94名の方にご参加いただき、盛況のうちに終了いたしました。
第一部自由報告につきましては、当日の報告者の方々から報告を終えての感想をいただいておりますので、下記に掲載いたします。いずれのご報告についても活発な議論がありましたことを、報告者のみなさまおよびフロアの参加者のみなさまに、あらためて御礼申し上げます。(大会担当世話人:前田泰樹・黒嶋智美)
内容の詳細は→活動の記録(2015年度)をご覧ください。
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第一部 自由報告について
- 鈴木雅博さん(大同大学)
教師の仕事は、学習指導だけでなく、学級指導、服装指導に部活動指導さらには登下校指導といった具合に「指導」の名によって教育的意味を付与されながら無境界的に広がっていき、加えて熱心さが評価される職業文化が多忙さを亢進させると説明されてきた。ここでは文化や制度に搦め捕られながら「自ら進んで」忙殺されていく教師像が措定されている。ただし、本報告が検討したように、教師は文化や制度に盲従しているのではなく、それらを用いて、時に負担軽減を訴える活動を成し遂げている。生徒向けの「下校時刻」をめぐる議論のなかに、そうした教師たちの実践を明らかにしようということが、本報告の目的であった。 勤務時間短縮にともなう下校時刻繰上げ提案に関し、提案者はそれを〈教育〉のカテゴリー集合のなかに位置づけ、「教師は部活動にかける生徒の思いに応えるべき」との規範を参照することで、繰上げを一部期間に留める原案を提出する。これに対し、対抗者は〈労働〉のカテゴリー集合を参照し、より一層の繰上げを求めていた。しかし、{労働者}であることを想起させる主張は{教師}としてふさわしくない振舞いとして定式化され、〈労働〉は議論におけるレリバントな枠組みとしての身分を失っていく。他方で〈教育〉のカテゴリー集合には「教師は生徒を早く帰宅させ家庭学習をさせるべき」との規範も付随しており、これへの参照により、より一層の繰上げが要求されていた。議論終盤には「教師は生徒の下校の安全を脅かすリスクを回避すべき」との〈リスク〉論が支配的な枠組みとなったが、これはこの規範が恒常的に他に優先する規定力を持つというよりは、他の枠組み・規範が排除・無効化されていった葛藤的な文脈のなかで理解することできる。 本報告は成員カテゴリー化装置(MCD)の二つの特質を援用している。一つは、参照されるカテゴリー集合が組み換えられることで、対象の有り様が変容する点であり、いま一つは、成員カテゴリーには特定の活動規範が付随する点である。前者については見やすいが、後者についての検討、すなわち同一のカテゴリー集合内部に複数の活動規範があり、葛藤的な議論においてそれらが参照される実践の解明はMCDの枠では捉えきれないようにも思われる。また、本報告は「メンバーがどのように成員カテゴリーを実践しているか」だけではなく、「メンバーがどのように成員カテゴリーを『用いて』実践しているか」という点にも照準している。つまり対象となる成員カテゴリーは実践によって達成されるものであるのと同時に、実践におけるリソースとなっている。この点もMCDによるシンプルな分析からは外れている気もする。しかし、人びとの日常の実践を切りつづめずに解明するEMの精神からすれば、そこでそれが為されている以上、こうした行論は不可避とも思われるが、どうだろうか。引き続きご意見を賜りたい部分ではある。
「クライアントの応答を組み換える」
- 三部光太郎さん(千葉大学大学院)
2009年秋に、東海大学高輪キャンパスで催されたエスノメソドロジー・会話分析研究会が、私にとってほとんど初めての学会体験だったこともあり、このたび、同じ高輪キャンパスでEMCA研究者の方々の前で報告をさせていただくことには、特別な感慨がありました。 今回の私の研究報告は、キャリア形成支援カウンセリングの序盤において、カウンセラーがクライアントについての情報を収集するなかで、クライアントの語りを定式化するdoing formulating実践に着目したものでした。行為を構成する言語表現の組みたて方を詳細に記述することによって、行為連鎖を成す行為タイプの特定のみならず、行為の遂行を通じて成し遂げられている、意志や動機、責任などの帰属を、相互行為上の交渉として描き出すことを狙いとしています。 駆け足での報告になってしまったにもかかわらず、非常に重要なコメントを(質疑応答の時間内にも、報告終了後にも)いくつもいただき、たいへん嬉しく思いました。いずれのコメントも、論文化の過程で参考にさせていただいております。とりわけ重要に思われましたのは、ひとつの事例分析についての、「ここで行われているのは動機を特定するワークではないか」というご指摘です。このご指摘には、論文化をすすめるにあたり、とりわけ社会学のジャーナルへの投稿を目指す場合に、重要な点が含まれていると認識しております。おそらく私にとって必要な作業は、コメントをいただいた事例に限らず、分析のターゲットであるpracticeと、それが組み込まれているところの、相談活動のなかでの(そのつど取り組まれている)作業との関連性を、記述のうえに示すことではないかと思います。分析の詳細については、研究の進展を通じてお示ししたいと思っております。また、カウンセラーが定式化する対象である、クライアントの語りについてのご質問からは、論文化に際して、分析上のポイントを明確にする必要性を感じました。報告時には、(1)クライアントの語り−(2)カウンセラーによる定式化−(3)クライアントの受け入れ/抵抗(−抵抗を受けての、(4)カウンセラーによる再定式化)の各々について、あまり濃淡をつけずに、順番に記述を提示してしまいましたが、 (1)の組み立てについての分析を詳細に行うと、あくまでも(2)〜(4)における帰属実践についての分析が主眼であることが見づらくなってしまう恐れがありそうです。論文化にあたっては、紙面に載せられるトランスクリプトの量に限りがあることもあり、クライアントが自らのキャリアについて語る方法の詳細については、それ自体ひとつの分析対象として、別の機会に重点的に取り上げることを検討しております。そうした事例分析についてのコメントに加え、アンシ・パラキュラらのグループが蓄積しているサイコセラピー研究の知見を踏まえることで、他の相談活動と異なる、キャリア形成支援の相談活動の特徴を捉えられるのではないか、というご助言もいただきました。サイコセラピーの先行研究群については、チャールズ・アンタキらが主導している研究ともどもサーベイを進めております。今回報告した内容を論文化する際に、定式化実践についての知見を盛り込むとともに、近いうちに研究動向をレビュー論文として形にしたいと考えております。 午後に行われる講演の効果もあってか、たいへん多くの方々にお集まりいただき、貴重な機会をいただきましたことを、改めて感謝申しあげます。
「T学園/C社の組織デザインと商品開発」
- 海老田大五朗さん(新潟青陵大学)
本研究報告では、「重度障害者を受け入れる生活介護施設/施設入所支援施設に一般企業が支払う、給与でもなければ就労支援施設が支払う工賃でもない、「作業収益の分配」として分配金をもたらす特殊な仕組みがどのように組織されているのか?」、「「重度障害者であっても働き、利益享受できるように」という特殊なミッションを抱えながら、どのようにしてこれらのような組織を30年以上も発展維持させることができたのか?」という2つの大きな問いのもとで、報告者の分析を示した。これら2つの問いは、研究者である報告者の問いである前に、障害当事者や支援者、保護者、会社の経営者たちにとっての問題である。本研究報告の目的は、これらの問題を検討しながら、組織デザインと商品開発に埋め込まれている、T学園/C社の特殊性を構成するものを記述することであった。 会場では2つの有益なコメントを頂いた。1つめのコメントとして、「T学園/C社の実践はそれほど特殊なことではないのではないか」という旨のご指摘を頂いた。これに対しては、当日「(個人の能力への評価に従って配分されることはあっても)組織的に分配金が支払われているのは特殊なのではないか」という趣旨の返答をしたつもりであったが、統計データの存在を参照した方がより説得的な反論になりえたかもしれない。生活介護系施設における「作業収益分配金」の全国平均を示す統計データは、今のところ存在しない。実態がどうであれ制度設計のもとでは、厚生労働省の統計データが存在しないくらいには、生活介護系施設における「作業収益分配金」が考慮されていないことになる。もう1つのコメントは「作業」と「仕事」のT学園/C社における使い分けに関してであった。この質問は本報告の核心に迫るものであった。というのも、自分たちの行っている活動は(経済的価値を伴わない)「作業」という概念のもとでなされているのか、(経済的価値を伴う)「仕事」という概念のもとでなされているのかは、「重度障害者であっても働き、利益享受できるように」というT学園/C社のミッションを記述するためには重要な検討対象だからだ。しかしながら、報告者の手持ちのデータからは回答できないので、この質問に対する回答をするためには、さらなる調査が必要であることに気づかされた。 本報告における課題は、他にもたくさんあった。たとえば「エスノメソドロジー的なエスノグラフィを書くとき、二次的資料をどのように扱うのか(扱えないのか)」、「調査対象を匿名化すべきか」「どのような先行研究との接続が可能なのか」などである。こうした数多くの課題について自覚することができたのも、本報告を見切り発車ながらも行ったということと、それを受けてのみなさまからのコメントがあったからこそである。研究大会に参加されたみなさまはもちろん、何よりも本調査研究にご協力いただいたT学園/C社に関係する全てのみなさまに感謝申し上げる。
第二部 特別講演について
第二部特別講演につきまして、ヘリテッジ先生とメイナード先生からご講演を終えての感想をいただいておりますので、下記に掲載いたします。いずれのご講演についても、現在取り組まれている研究発表で、大変興味深いものでした。指定討論者の串田秀也先生、浦野茂先生に論題を簡潔かつ分かりやすく整理していただき、その後の全体討論の盛り上がりに繋げることが出来ました。ヘリテッジ先生、メイナード先生、指定討論者のみなさま、およびフロアの参加者のみなさまに、あらためて御礼申し上げます。一点、特別講演の録音について、大会世話人の方からこちらで一括して行なう旨、アナウンスさせていただきましたが、こちらの手違いにより、録音を配布させていただくことがかなわなかったことも合わせてご報告申し上げます。本件につきまして、お問い合わせいただいた方々に、心よりお詫び申し上げます。(大会担当世話人:黒嶋智美・前田泰樹)
John Heritage (University of California, Los Angeles) “Are explicit apologies proportional to the offences they address?”
On Saturday October 24th, I had the pleasure of addressing a meeting of the Japanese EMCA group. It was a large and lively meeting, and the audience members were obviously highly knowledgeable about ethnomethodology and conversation analysis. The questions I received were very thoughtful and intelligent, and the whole experience was highly enjoyable.
Doug Maynard (University of Wisconsin-Madison) “Directing and assessing children during Autism diagnosis: An EMCA perspective”
It was a great pleasure to return to Japan and present my current research, which is research in progress rather than a final report. The expertise in the Japanese community of scholars with respect to ethnomethodology and conversation analysis is outstanding such that the questions and comments I received both during the meeting and at the party afterwards are immensely helpful to the development of our project on the testing and diagnosis of autism spectrum disorder. Also, this community knows how to have a good time! I loved the party as well as the conference!