2017年度の秋の研究大会は、2017年10月8日(日)に関西学院大学梅田キャンパスで開催されました。午前中の第1部では、3つの興味深い自由報告がなされ、第2部(午後)の Studies in Ethnomethodology 刊行50周年を記念した企画、「エスノメソドロジーのこれまでとこれから」では、4人のベテランのかたがたから、エスノメソドロジーの歴史にかかわる、貴重なお話を伺うことができました。当日の雰囲気をお伝えするために、写真と報告者のかたがたからお寄せいただいた文章を掲載します。今回は連休の中日での開催だったにもかかわらず、50名を超えるかたがたが参加されました。登壇された7人の先生がたはもちろん、活発なディスカッションによって、この会をより有意義なものにしてくださった会場のかたがたにもお礼を申し上げます(森本郁代・戸江哲理)
内容の詳細は→活動の記録(2017年度)をご覧ください。
短信 |
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第一部 自由報告
「応答の冒頭部分に用いられる無助詞『私』の相互行為上の働き」
- 金青華(元・お茶の水女子大学大学院)
この度は貴重な報告機会をいただき、誠にありがとうございました。また、発表をお聞きいただいた方々、貴重なコメントをいただいた方々に厚く御礼申し上げます。
本報告では、「質問―応答」連鎖における応答の冒頭部分に用いられる「私」に注目して、日本語母語話者が応答を産出する上で直面しうる課題に対処するために、「私」をどのように利用しているのか分析しました。
分析では、応答の冒頭部分に用いられる「私」が現れる以下の三つの環境において、それぞれ事例を提示し,「私」が具体的にどのような環境において用いられ、どのような実際的課題に対処する手続きとして利用可能なのかを調べました。
- 質問に対して即座に応答せず、自分の事情を説明した後に応答する場合
- 質問に対して否定的な応答をした後、その根拠として自分のことを語る場合
- 質問に対して何らかの反応をした後、自分の事情を打ちあけることで応答する場合
の結果、応答の冒頭部分に用いられる「私」が次のような相互行為上の働きを果たしていることがわかりました。1. 質問が設定した応答条件に何らかの抵抗を示していることができる、2. 質問に抵抗を示しながらも、質問の要請に応えようとしている協調的スタンスを示している、3. 抵抗の内実として、後続発話に自分の事柄が語られることを予告することができる。すなわち、応答の冒頭部分に用いられる「私」は、話題の導入・転換の機能よりは、応答を産出する上で、質問に何らかの抵抗を感知し、その質問に対し、端的には答えられないことを示し、自分のことを語ることによって、応答を組み立てることを予告する働きをすることがわかりました。
質疑応答においては、「私」の前に出現する「いや、あ、え」などの言語形式の機能と「私」の機能を区別して分析すること、また初対面会話だけでなく、友人同士の会話においても同じ記述ができるのかを検討することに関してご指摘をいただきました。今後は、いただいたコメントを踏まえ、より詳細にデータを記述していきたいと思います。あらためてありがとうございました。
「分析ツールとしての『成員カテゴリー化装置(MCD)』を再検討する」
- 鈴木佳奈(広島国際大学)
TBA
「エスノメソドロジストは『会話分析・相互行為分析』とどのように関わるのか?」
- 岡田光弘(国際基督教大学)
前回の研究会で、「Epistemics」を巡る論争が紹介され、それが、会話分析(CA)内の重要な論争であることが理解できました。ただ、この「コップの中の嵐」の外側の構図が見えにくかったので、今回は、Radical EM論争を含めて、少し広いEMCA像について報告しようと考えました。以下に要点を纏めておきます。
「Epistemics」論争の隠れキャラに、Radical EMというものがあったようです。EMは、Radicalさが売りもので、既存の社会学との差異を「最大化」することをよしとしてきました。EMのRadicalさを象徴する「フォーマル・ストラクチャー」論文が、専らH. Garfinkelによるのか、H. Sacksとの共同の成果(G&S)なのかという論争があり、E. Schegloff, T. P. Wilson, J. Heritageらは、Garfinkelの著作物だと考えます。すると、CAは、Classical EM の継承者だということになり、M. Pollnerは、それにRadicalさを失ったEMを重ね合わせます。別に、G&Sとそれに続くCAをワーク研究であるとする理解が想定でき、そうすると、以下のEM Proper期、批評という態度、さらには「Epistemics」論争も納得できるようになります。EMの展開を区分する方法に断絶論と非断絶論があり、断絶論には、「Classical / Radical」の二分法(Wilson, Heritage)、「Proto / Proper /Post-Analytic」の三分法(M. Lynch, A, Dennis)、『概念分析の社会学』に合わせて中村が主張している「Proto/Proper/Analytic/Post-Analytic」という四分法の三種類があります。これ以外に、非断絶論(W. Sharrock, R. J. Anderson)も存在します。この「マンチェスター(・ボストン)・ランカスター派」は、二つの態度を規準にEMCAと社会学との差異を「最小化」する路線を取っているように思われます。1) 社会学を「引き立て役」にする批判(criticism)としてのEM路線と2) 批評(critique)としての、すなわち(事象そのものへ向かう)第一社会学としてのEM路線です。「引き立て役」との差異が最小化されると、EMは、社会学に対してa) 寄生する「エピストピック」研究か、b) 融合する「ハイブリッド・エスノ・ソシオロジー」になります。
さて、CA を「リソースをトピックに」というテーゼに,順番交替のシステムを分析することで応じる営みだと考えることができるでしょう。しかし、EM者は、CAに対して、SSJ(1974)が、代表例となるワーク研究(Garfinkel, Lynch)だとして性格づけているようです。それ以外にも、SSJ(1974)で、ほぼ完成した会話の研究(Sharrock, G. Button)だとする見方、あるいは、概念の分析(J. Coulter, 西阪)だとする見方があります。「Epistemics」のRadicalさを巡る論争の前提には、EM者による、こういったCA理解(誤解?)が隠されていたようです。
エスノメソドロジストは「会話分析・相互行為分析」とどのように関わるのか? ―社会学とも、どのように関わるのか―
第二部 特別セッション
Studies in Ethnomethodology 刊行50周年記念企画「エスノメソドロジーのこれまでとこれから」
Studies in Ethnomethodology 刊行50周年記念企画で発表の機会をいただきありがとうございました。
本報告では、近年私が進めている、Studies 刊行までの Garfinkel による研究の足跡を辿る作業から得られた一部の結果を報告しました。関連する学界の現在の理解では、1960年代までの Garfinkel の研究は、Alfred Schuetz からの理解社会学の発展の中に存在するもののようです。その一部には、Garfinkel の研究を Parsons への批判としてのみ理解したり、いわゆるミクロな、あるいは解釈学的な社会学的分析やその関連のなかに位置付ける理解も残っています。その周辺には、Studies の難解さゆえにそれを敬遠したり迂回したりしようとする、あるいはそれが可能であるとする、通りすがりの付言があります。
これらの解釈には、それぞれいくぶんの真実が含まれていると思いますが、その全体を見渡すと、Garfinkel ないしエスノメソドロジーをその全体性において理解することがおろそかにされ、それぞれ都合のよい部分を切り取って利用しているのではないかという懸念を感じます。 この状況からは多くの誤解や損失が生じていますが、本報告では、とりわけエスノメソドロジー・会話分析の実践者に対してエスノメソドロジーが与える主要な関連性ある発見のいくつかを回復することをめざしました。その一つは、いわゆる質的、現象学的、相互行為主義的なものを超えた社会学研究との複合的な関連性です。それは、社会構造の内側からの産出的理解の発見ということができます。もう一つは、この産出的理解を見出す方法の固有唯一的な関連性です。それは、上記の産出的理解の活動が成立する場に即した必要な証明ないし明証性の発見です。
Garfinkel はどのような理論も彼の言う意味での「アドホックな」理解をうけるものだということを事実として認めていました。しかし同時に、かれは自分の理論について「アドホックな」見方を取ることはなく、慎重かつ根源的にその建設に努めました。上記の二つの発見には達成と方法という関係があり、私はそれがエスノメソドロジーの成立にとって本質的に重要だったとの暫定的見通しを持って報告しました。また、このことのいくつかの別の側面については、私は2015年以降の論文等で検討を始めていますので、興味を感じる会員はご参照いただければ幸いです。
「私はいかにしてエスノメソドロジストになったのか――社会学的・哲学的来歴」
- 山崎敬一(埼玉大学)
エスノメソドロジー・会話分析研究会の Harold Garfinkel の Studies in Ethnomethodology 刊行50周年を記念する特別セッションで発表する機会をいただき、研究会世話人の戸江さん、森本さんはじめとする皆様方にはお礼を申し上げます。私にとっても、学部生、大学院生の時のエスメソドロジー・会話分析への出会いを振り返るよい機会だったと思います。またシンポジストの樫村さん、水川さん、南さんおよび会場の55人の皆さまとエスノメソドロジー・会話分析に関する議論ができたのはうれしい経験でした。大学院生の時に、西阪先生と一緒に、二人でサックスの An initial investigation of the usability of conversational data for doing sociology(邦題「会話データの利用法―会話分析事始め―」)を読んでいた時に比べて、日本でも非常に多くの方がエスノメソドロジーや会話分析に関心を持つようになったことを改めて感じました。ただ会場との討議の中で、ethnomethodological indifference や formulation の問題に関する誤解があったかもしれないので、ここでもう一度確認したいと思います。発表の中で、indifference は、単なる無関心ではなく、「区別をおかない」だと述べました。これが、科学的説明の定式化(formulation)も、日常的説明の定式化も、「説明の説明」だ、「理解の理解」だという誤解を生んだのかもしれません。しかし、説明の説明が、科学的説明による日常的説明の説明(修復活動)だとすると、ガーフィンケルのいう構築主義と同じになってしまいます。また日常的定式化活動によって、科学の定式化活動を基礎づけると考えると、シュッツの一次的構成と二次的構成と同じになってしまいます。ガーフィンケルとサックスは、「会話に対する定式化作業によって、成員たちが自分たちの会話的諸活動が説明可能的に合理的であるという事実を遂行しているわけではない」(H. Garfinkel & H. Sacks, 1970: p.355)と述べています。すでに『社会理論としてのエスノメソドロジー』の第3章「ガーフィンケルとエスノメソドロジー的関心──リフレクシビティーと社会的組織化の問題」(初出は1993年)でも、『エスノメソドロジー・会話分析ハンドブック』(新曜社、近刊)でも書いていますが、ガーフィンケルとサックスが注目したのは、「説明が次に生じる説明とともに組織化され現実の人々の世界を作り上げて行くこと」そのものなのだと考えています。
「IIEMCAとエスノメソドロジー・会話分析の展開」
- 水川喜文(北星学園大学)
本研究大会では、EMCA記念企画ということでさまざまな選択肢がありましたが、他の重要で根源的題目に挟まれる形になるということも考慮し、比較的おおまかで概略的なテーマを選ぶことにしました。そこで、今回は私(たち)が初めて参加した Studies の25周年記念大会だった IIEMCA1992(Bentley, USA)を軸にしていくつかの事柄に分けてみていくことになりました。
第一に、IIEMCA国際大会のテーマの概観し、IIEMCA1992 とその後のテーマの変遷と ICCA の国際大会を時系列で追うことです。まず、EMCA に関しては、日本の社会学においては、めずらしく1990年代中旬から国際学会での活動や大会運営が行われていたことがわかります。一方、ICCA は2014年に UCLA で正式な学会(年費制)として組織される10年以上前から多くの発表者を抱える大会を開催しています。2011年のスイス・フリブールで行われたIIEMCAでは、L. Mondada などの主催者によってEMとCAが混交した大会となりました。近年の Radical EM と CA とのいくつかの議論もありますが、「ハイブリッド」な形での大会運営の事例となるのではないでしょうか。
第二に、1990年代を中心とした日本のEMCAの出版状況を表にしてみました(論集、概論、入門書を中心に)。実際の研究現場から見ると、論文の発表は研究から1~2年後、研究書の出版は、数年後から場合によって5年以上後というように、書籍の出版年代を並べるということは、かなりの遅延した状況確認となります。しかしこうした公刊の年代を概観することもEMが社会学など関連する学問領域へのプレゼンスを見る上では有用かもしれないと思い今回は試みました。
第三に、1990年代前後の(関東周辺の)EMと社会学関連のマップにしてみました。今では質的研究・量的研究と二分される社会学の調査・研究法のうちで質的研究に分類されるEMCAも、当時の基準では、社会理論系に分類されていました。その中でも、EMは現象学的社会学の関連領域としてEMが位置づけられ、社会問題(逸脱・差別・解放を含む)の社会学とも理解されていたことがわかります。これらから現在もEMといえば社会問題と結び付けられる傾向もわかります。
第四に、EMCAのアーカイブについて現状と課題を述べました。EMCAでは、その初期より未刊行の資料が流通しており、現在も Garfinkel、Sacks を含め多くの資料が、私を含めて個人で所有されている状態となっています。ドイツのジーゲン大学では、大きな研究費を得て E. Schüttpelz や A. Rawls などがガーフィンケルのアーカイブを構築中しています。近くは私(たち)も、E. Rose 関連資料の公開を検討しましたが、著作権の問題や出版準備との兼ね合いなどあり作業中断しています。所々の困難を乗り越えて共有の道が開かれる方法を今後も探りたいとは思っています。
今回の大会は、節目ということで振り返ることが許され、いくつか共有する事実があることはわかりましたが、これからは先をみて「梯子は登り切ったら捨て」研究を進めていきたいと思います。
「シクレル・インタヴュー・アイデンティティ――『インタヴューのエスノメソドロジー』に向けて」
- 南保輔(成城大学)
ガーフィンケルの『エスノメソドロジー研究』出版50周年の機会に,恩師アアロン・シクレル(敬称略とします)の仕事を軸とした報告をさせていただきました。わたしがUCSD留学中に指導を受けたシクレルは,もはや「エスノメソドロジスト」ではありませんでしたが,折に触れてガーフィンケルやシェグロフについて言及されました。やりとりは,録音したもののずっとしまいこんだままでした。今回の報告準備の機会に,公刊されているインタヴュー記録などにおいて,わたしが聞かされたのとほぼ同じ内容が見られました。シクレルとエスノメソドロジーの関係,そしてその評価などはこれらによりました。
わたし自身は,最初の専攻が社会心理学だったこともあり「認知」というキイワードにずっと引っかかってきました。わたしが惹かれて,指導教員として選んだシクレルは認知社会学・認知科学のシクレルでした。わたし自身は,EMCAと自分の立場の折り合いに悩んできたわけですが,ヴィデオデータセッションを定期的に行うようになり,これにとらわれることは少なくなりつつあります。今回,「プロト」がついているものの,リンチがシクレルをEMとしていることを知り,そういうEM者という自認でいこうと再確認することができました。
今後取り組んでみたいのは,ライフヒストリー的なインタヴュー記録をEMCA的に検討し分析するという作業です。定型質問紙を使ったサーヴェイインタヴューについては,メイナードたちやフートクープスティーンストラによる分析(Maynard et al. eds. 2002; Houtkoop-Steenstra 2000)があります
ライフストーリーインタヴューについては,鶴田と小宮による批判的検討(2007)があります。EMCA的検討においては「いまここ」がすべてですが,この点をふまえたうえで,「いまここ」を離れて人生上の「帰結」についてどれだけのことが言えるか。この問題を,これまでのわたし自身の調査を見直しながら詰めてみたいと思っています。今年9月の認知科学会での報告(「ふたつのアイデンティティ:いまここのコミュニケーションと認知科学」)は,そのような取り組みの第一歩となるのではないかと思っています。
最後になりますが,シクレルがそのPh.D.論文の主査を引き受けたことで,サックスからなにを得たのかという質問についてです。当日も述べましたが,これに関連してシクレルからなにか聞いた覚えはありません。「おれがアドバイスするとおりに書きなおせば,Ph.D.論文として合格するから」と言って引き受けたと言われたことは記憶しています。ですがほかにはあまり,サックスについてお話にならなかったようです。ガーフィンケルやシェグロフ,ゴフマンのことはわりと話題とされたのとは対照的です。機会があれば,ご本人から聞いてみたいところです。