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エスノメソドロジー・会話分析とはなにか

作成:2017年7月4日 更新:2017年07月14日

 このページではエスノメソドロジー・会話分析とはなにか、ごく入門的な紹介を行います。どこから目を通していただいても大丈夫なように書かれていますが、頭から順に読んでいくとよりわかりやすいはずです。

1. イントロダクション

 ここではエスノメソドロジー(Ethnomethodology)・会話分析(Conversation Analysis)(以下EMCA)の概要とその広がりを紹介したいと思います。まずはこの、一読しただけではどんな関わりがあるのかわからない二つの言葉―エスノメソドロジーと会話分析―がなぜ並べられているのか、このことからお話ししましょう。

 第二節でより詳しく説明しますが、「エスノメソドロジー」というのは、(後で説明する「会話分析」もそうですが)社会学の一分野です。エスノメソドロジスト(エスノメソドロジーに依拠する研究者たち)は、会話であるとか仕事、勉強、喧嘩、散歩といった、社会生活をおくる上で日常生活者が経験する様々な事柄が、どうやって当たり前のこととして成り立たっているのかを調べます。たとえば、「列に並ぶ」という活動について考えてみましょう。映画の切符を買うために列に並ぶ際には、他の人と同じくらいの間隔を空けて前の人の後ろに立つ、前方を向く等々の、細かな決まり事があるはずです。エスノメソドロジストはこの決まり事をつまびらかにすることを通じて、「列に並ぶ」という活動が当たり前のものとして成り立っている仕組みを解明します。社会学というのは社会がどう成立しているかを研究する学問ですから、エスノメソドロジストはこの課題に、ひとつのやり方で取り組んでいるのです。ただし、この課題への取り組み方は、一般的な社会学のそれと大きく異なります。ふつう社会学者が、何らかの専門的概念やモデルを作り出し(○○型社会、△△化したコミュニケーション等々)、それを現実の物事に当てはめて社会の成り立ちを説明しようとするのに対し、エスノメソドロジストは研究者の側で予め専門的概念やモデルを設定することなく、日常生活者自身が「列に並ぶ」、「会話をする」等々の事柄をどのようなものとみなし、それをどう成立させていっているかを、日常生活者自身の理解に即して記述していこうとします。エスノメソドロジストがこの方針をとるのは、二節で説明するように、このやり方こそが、日常的な社会生活の成立の仕組みを明らかにするうえでもっとも適していると考えているからです。

 この文章を読む人には、エスノメソドロジー(もしくは会話分析)が自分のしたいこと(研究・勉強・仕事等々)に使えるかどうかを知りたい、という人が多いものと思います。端的にいえば、エスノメソドロジーは、人が社会生活をおくる上で取り組むあらゆる事柄を、どうやってそれに携わる人びとが成り立たせているか、この詳細を明らかにすることができますが、それ以外のことは射程外です。エスノメソドロジーは会話がどうやってふつうの会話として成り立っているか、授業で先生が生徒に物を教えることはいかにして可能か、レストランでスムーズな接客はいかにして行われているか等々の、その有り様を解明することができます。一方でエスノメソドロジーは、人間行為に関わる新たな理論を提出したり、モデルを立てたりといったことを目的にしません。また将来何が起こるかを予測したり、推計したりすることにも、それ自体では役立ちません。

 さきほど、日常生活者が経験する事柄のひとつとして「会話」を挙げました。顔を付き合わせたり電話を介したりして行うおしゃべりは、われわれが日常生活の中でかなり大きな時間を割いて行う活動です。いっぽうで、会社などの少しあらたまった場で行われる「会議」は、おしゃべりとは呼べないかもしれませんが、言葉を使ったやりとりであるという意味で会話と似た活動です。言葉を使ったやりとりのことを、「相互行為におけるトークtalk-in-interaction」と言います。「会話分析」は、エスノメソドロジーのうち「相互行為の中でのトーク」を対象に行われるものを指します。

 これは第六節・第七節で説明しますが、会話分析は分析の進め方が体系化されており、研究者の集まりとしてもひとつのコミュニティを形成するに至っています。また、先にエスノメソドロジーは社会学の一分野だと述べましたが、会話分析のコミュニティには、社会学以外の言語学、教育学、認知科学、心理学、人類学といった幅広い人文・社会科学系の諸分野の研究者も含まれています。いわば、エスノメソドロジーに出自をもつものでありながら会話分析は一種の独立性を備えています。そのような事情を考慮して「エスノメソドロジー」と「会話分析」が並置されているのです。

 EMCAはだいたい半世紀の歴史をもちます。この半世紀のあいだに、(とりわけ会話分析のコミュニティにおいて)従事する研究者の学問的バックグラウンドの多様性、研究対象への取り組み方、研究対象として取り上げられる活動の多様性などが広がりをみせています。さきほど会話分析の性質について説明しましたが、エスノメソドロジーと会話分析の分化も、この半世紀のあいだに進んできたことです。この文章では、ごく簡単にではありますが、歴史を紐解きながらEMCAの発展と広がりを紹介していきます。

 まず第二節と第三節で、それぞれエスノメソドロジーと会話分析の基本を説明します。続く二つの節では、エスノメソドロジーの国内(第四節)外(第五節)への広がりを紹介します。第六節と第七節では、会話分析の国内外への広がりについて紹介します。最後に第八節で、EMCAがどんな領域・フィールドで使われているかを説明します。

 この文章が、EMCAに興味をもった人への最初の導入として、何らかの形で役に立てば嬉しく思います。ですが、この文章はあくまでもっとも簡潔な形での情報提供にすぎません。EMCAを本格的に学び始めるためには、他の文献を参照してください。2017年現在、エスノメソドロジーの入門書として

会話分析の入門書として

があります。またEMCAは、独学で学ぶより人と共に学んだ方が学習効率のよい分野です。そのリソースとして、当研究会の

も参考にしてください。(平本 毅)

文献

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2. エスノメソドロジーとは(秋谷 直矩)

 エスノメソドロジーは、アメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケル(1917-2011)によって提唱されました。彼の主著である『エスノメソドロジー研究』(Garfinkel 1967)が刊行されてから現在に到るまで、エスノメソドロジーを標榜する取り組みが数多く積み重ねられてきました。

 さて、エスノメソドロジーとは何でしょうか。『エスノメソドロジー研究』の冒頭では、以下のような説明が試みられています(非常に難解ですが、後で解説するので我慢して読んでください)。

この研究は、実際に生じる活動やその周りの環境、そして実際になされている社会学的推論を経験的な研究の主題として扱い、これまでたいていは異常な出来事に向けられてきた研究関心を日常生活のもっともありふれた諸活動に向けることによって、実際に生じる活動やその周りの環境、そして実際になされている社会学的推論について、それ自体の権利において生じた現象として探求する。これらの中心的な勧告は、組織化された日常的な出来事からなる場面を人びとが産出しうまく取り扱う活動はそれらの場面を『説明可能(account-able)』なものにする人びとの手続きと同じであるということである。説明するという実践や説明の『相互反映的(reflexive)』で『具体的な(incarnate)』性質が、この勧告の要点を成している
(Garfinkel 1967, 1)
文脈依存的表現(indexical expression)などの実践的行為の合理的な性質を、日常生活において組織された巧みな実践の偶発的で継続的な達成として探求する研究を指し示すのに、『エスノメソドロジー』という言葉を用いる
(Garfinkel 1967, 11)

 これらの説明は、ガーフィンケルの取り組んだ以下2つの社会学的問題と密接に結びついています。それは、「社会秩序はいかにして可能か」ということと、「この社会で生活を営む人びとがやっていることについて、研究者はどのように理解できるのか」という問いです。本節では、この2つの社会学的問題と、上述のガーフィンケル自身によるエスノメソドロジーの説明のかかわりを解きほぐすことによって、エスノメソドロジーとは何かという問いに対してひとつの見通しを与えたいと思います。

 この2つの問いは、社会学という名のもとで行われている研究の多くに共通する根本問題です。社会学はその名のとおり、社会を対象とし、それがどのように成り立っているのか(=社会秩序の成立)を探求する学問です。社会という概念については、たとえば、「人間存在の根源的な社会性のもたらす現実的な行為連関の成立が、一切の社会概念の原点をなしているといってよい」(佐藤 1988, 39)といったように社会学者は説明してきました。ここでの「行為連関の成立」は、「社会秩序」とパラフレーズすることができます。つまり、社会秩序の成り立ちを明らかにするためには、社会学者が人びとの行為・行為連関を理解し、記述することが決定的に重要であると考えられてきました。

 そこでもうひとつの問いがたちあがります。それは、「この社会で生活を営む人びとがやっていることについて、研究者はどのように理解できるのか」という、先に2番目に掲げた問いです。「この社会で生活を営む人びとがやっていること」――すなわち行為についての記述を通して社会秩序の成り立ちを明らかにすることが社会学者の仕事です。そこでは、社会学者による行為の記述が、分析対象とされた人びと自身の行為の理解可能性に即したものになっているかどうかが重要です。これがうまくいけば、「社会秩序はいかにして可能か」という問いに対して適切な記述をもって答えることができそうです。そういうわけで、社会学では、「社会秩序はいかにして可能か」という問いと「この社会で生活を営む人びとがやっていることについて、研究者はどのように理解できるのか」という問いは、セットで考えられてきました。

 では、この2つの連関した問いに、ガーフィンケル(やその他のエスノメソドロジストたち)はどのように取り組んだのでしょうか。ここで先のガーフィンケルの引用を再掲しましょう。「組織化された日常的な出来事からなる場面を人びとが産出しうまく取り扱う活動はそれらの場面を『説明可能(account-able)』なものにする人びとの手続きと同じである」。これは、先の2つの問いに対するガーフィンケルの基本的方針を非常に短くまとめたものです。

 「組織化された日常的な出来事からなる場面を人びとが産出しうまく取り扱う活動」――すなわち、人びとが、自分自身が参与している場面についてどのような場面であるかを理解し、その場に応じた何かを行うこと(発話する、説明する、書く、見る、並ぶ…etc)は、その場面を構成する一部であるという点で、公的かつ観察可能な社会秩序の一部であると言えます。また、このような「どのように理解すべきか」「その場に応じたものとして何をどのように行うのか」といったことは、その場面に参与している人びとが直面し、その都度取り組みどうにかして解決している日常的・実践的課題であるとも言えます。ここにはひとつの視点の転換があります。ガーフィンケル以前の社会学者が研究を行ううえで根本問題としてきた2つの問いは、社会学者以外の市井の人々もまた日常的・実践的に経験し、取り組んでいる課題であることを見出したのです(ガーフィンケルは、こうした点を強調するために、社会生活を営むすべての人びとは「素人の社会学者(lay sociologist)」であると述べています)。

 以上のような人びとの実践の特徴を踏まえたうえで、ガーフィンケルは、「社会秩序はいかにして可能か」と「この社会で生活を営む人びとがやっていることについて、研究者はどのように理解できるのか」という2つの問いについて、「それ自体の権利において生じた現象として探求すること」――すなわち、人びとが実際にやっていることに即した記述的研究により取り組むこと、という研究方針を導きます。

 エスノメソドロジストは、それゆえ、会話することであったり、列に並ぶことであったりといった、日常的な、ありふれた事柄をしばしば分析対象として取り上げます。これは、他の多くの社会学が、薬物乱用や犯罪のような逸脱行動、マイノリティ集団の抗議行動といった、いわゆる社会問題を扱うのと大きく異なります。これは、先の『エスノメソドロジー研究』にも「これまでたいていは異常な出来事に向けられてきた研究関心を日常生活のもっともありふれた諸活動に向けること」という部分に示されています。『エスノメソドロジー研究』が書かれた当時、社会学では、逸脱、アノミー、逆機能…といった概念群を手がかりに、いわゆる「社会問題」を対象とした研究が行われることが主流でした。ここで異常な出来事についてもう少し詳細に考えてみましょう。そもそも何らかの状態・状況を異常な出来事として認識可能なのは、日常的で平凡な社会秩序が基盤としてあるからです。したがって、社会学的探求として異常な出来事に向かうこと自体は重要ですが、他方で、「日常生活のもっともありふれた諸活動」の社会秩序の探求もまた非常に重要であると言えます。ガーフィンケルは、『エスノメソドロジー研究』を著した当時の社会学界において、こうした認識の重要性が共有されていなかったことを踏まえて、「日常生活のもっともありふれた諸活動」に関心を向けた研究の重要性を提起したのです。

 ここで注意したいのは、だからといってエスノメソドロジーが異常な出来事を扱わず、日常的な出来事のみを探求するものではないということです。たとえば震災におけるボランティア活動(西阪・早野・須永・黒嶋・岩田, 2013)、自死遺族の語り(藤原, 2012)等々の事柄も、エスノメソドロジー研究では取り上げられます。すでに述べたように、異常な出来事の認識可能性は日常的で平凡な社会秩序を基盤としています。その点で両者は分かちがたく結びついています。つまり、市井の人びとにとっての「異常な出来事」の認識可能性を問う際、彼ら自身が指向している日常的で平凡な社会秩序の解明とセットで探求されるならば、それはエスノメソドロジー研究として成立します。

 さて、先の引用では、ガーフィンケルは、「説明するという実践や説明の『相互反映的(reflexive)』で『具体的な(incarnate)』性質」が、先に説明したガーフィンケルの基本方針の要点であると述べていました。これについても説明します。

 例として「まだ授業中だよ」という発話について考えてみましょう。この発話をどう理解すべきかは、この発話単体を見てもわかりません。この発話を理解しようとするなら、これがどのような文脈・状況で産出されたのかを参照する必要があります(発話を含む、人びとの振る舞いがなされた文脈・状況に応じて、その振る舞いが特定の意味を持つことをエスノメソドロジーでは「文脈依存性(indexicality)」と言います)。もしこの発話を教師から生徒に対してなされた「注意」として聞くことができるなら、当該場面は授業であるということになります。同時に、この発話をそのように聞くことができるということ自体が、「まだ授業中だよ」という発話が当該場面を授業として成立させる一部となっています。このような振る舞いと場面双方に特定の理解可能性をもたらす相互の結びつきを指して「相互反映的」であると言います。また、こうした記述は、人びとが実際にやっていることという点で、非常に「具体的」です。

 エスノメソドロジー研究は、ここまで説明してきたような人びとが実際にやっていることが持つ特徴に注目し、記述的に研究を進めることによって、人びと(=エスノ)が社会を理解し、作り上げる方法(=メソドロジー)を探求する取り組みなのです。そこでは、極めてトリヴィアルな日常的なことから、科学者の営みなどの専門的実践まで、実に様々な人びとの実践が研究対象になり得ます。その際、研究のやり方は、研究対象となった人びとの実践のあり方に即したものになるわけです。ですから、エスノメソドロジーの論文を読んだり、研究発表を聞いたとき、ヴァリエーションの多様さに戸惑うこともあるかもしれません。でもそれは、エスノメソドロジストが「人びとが実際にやっていることに即した記述」を心がけた結果なのです。(秋谷 直矩)

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3. 会話分析とは(黒嶋 智美)

 私たちは、社会生活にかかわる様々な活動の大部分を、会話によって行っています。ここでいう「会話」の中で使われるものには、発話によるものだけではなく、会話参加者が相互行為を行なう上で資源として利用するものすべて(たとえば、視線や表情から、身振り、文脈など)が含まれます。それまでに社会学や言語学では中心的に取り扱われることのなかった「会話」を、それ自体が科学的探求の対象であるとし、また、会話が組織だっていることの詳細そのものが、発話によってどんな行為がどのように達成されているのかを参与者が認識するための資源であることを見出したのが、ハーヴィ・サックスでした(Silverman, 1998) 。サックスは1959年にカリフォルニア大学バークレー校社会学部博士課程に入学後、数年前から交流を持っていたハロルド・ガーフィンケルや、もともと彼の指導教員だったアーヴィン・ゴフマン(後にアーロン・シクレルに指導教官が変わる)らから多くのことを学びつつ、特に、ガーフィンケルが後にエスノメソドロジーとしてまとめあげる、日常的活動における人びとの方法論という着眼点(Garfinkel, 1967)に関心を寄せていました。サックスは、1963年に、ガーフィンケルに招かれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)社会学部の助手と、ロサンゼルス自殺科学研究センターの研究員とを兼任し、自殺防止センターへの電話会話録音テープをデータとして入手すると、本格的に会話の研究に着手していきました。バークレーの同僚だったエマニュエル・シェグロフは、サックスがロサンゼルスに移ってからも継続して議論を重ね、「会話分析」の誕生に寄与しました。シェグロフは、1975年のサックスの早すぎる事故死以降、会話分析の方法論の整備、分野の体系化・普及に務めた会話分析の開拓者のひとりでもあります。また、サックスのリサーチ・アシスタントを務めた、当時学部生だったゲール・ジェファーソンも、サックスの指導学生として学び、緻密な分析に裏打ちされたいくつもの発見を行い、またトランスクリプトの転記方法を開発したことで、会話分析に多大な貢献を残しました(田中,1998)。

 シェグロフは、サックスが最初に会話データを分析した論文を初めて目にした時の興奮と、今まさに芽生えようとしている新たな会話の研究手法をどのように確立していくか、手探り状態でしかなかったことへの不安な気持ちを後に振り返っています(Schegloff, 1992)。サックスはまず、自殺防止センターの相談者が、電話の冒頭でいかに名乗らないことを達成しているのか分析した論文をもって、1964年の秋学期から、会話分析の講義をはじめていきます。64年から68年までのUCLA時代、また68年から75年までのUCアーバイン校時代に行った講義は、ジェファーソンによって文字化され、録音テープとともに研究者の間で共有されていくこととなりました。当初は研究者間でのインフォーマルな共有でしたが、1992年にまとまった形で出版された講義録は出版物の少ないサックスの残した遺産であり、会話分析のエッセンスが詰まった膨大なレファレンスでもあります。講義録の第一部は、単一の事例を対象にひとつの現象を観察可能にしている仕組みの記述を主に行っていますが、徐々に複数の類似事例を集めて研究を進めていくように第二部では変化していきます(Silverman, 1998) 。

 会話分析の研究プログラムでは、ある特定の行為がいかにして組織だったものとして産出されているかを経験的に詳しく記述していきます。会話分析は、人びとが一般的な期待に基づき、日常生活の行為や活動を組み立てていくのに運用するそのやり方(プラクティス)にその照準を合わせています。たとえば、「誘い」を例にするならば、会話分析で立てる問いは、社会の成員たちは「誘い」を、どんな発話の構成(composition)(発話デザインという言い方もできます)で、どのような会話上の位置(position)で行っているのか、そしてその行為がいかにして適切なふるまいになっているのかといったものになるでしょう(Pomerantz & Fehr, 2011)1。会話分析の中心的な問いである「なぜ今ここでその発話がなされるのか(Why that now?)」では、そのようなやり方(発話デザインと会話上の位置)が採用される合理性や適切性はどのように可能になっているのかを解明していきます。たとえば、職場で初めて顔を合わせる場合に適切なあいさつの仕方を私たちは知っています。もし一般的期待に沿わないようなあいさつをした場合には、相手からそれに対してアカウント(説明)が求められるかもしれないし、あいさつ以外の行為としてなされている可能性が模索されるかもしれません。そういった意味での「適切さ」が規範的に行為の産出と理解に関わっているのです(Pomerantz & Fehr, 2011)。

 さらに、会話参加者にとって、一つ一つの行為の産出と理解のために、文脈が非常に重要であるのは、第二節で解説された「文脈依存性」があるためです。ある行為を理解するために、行為を文脈に結びつけて私たちは捉えています。またその理解に基づき適切な次の行為を産出するという意味で、一つ一つの発話が文脈を新たに織り成しているという捉え方も可能です。

 会話分析では、エスノメソドロジーと同様、相互行為の参与者自身の視角に対して忠実であろうとします。ある振る舞いは、私たち参与者にとって(そして派生的に分析者にとって)秩序だっていて説明可能なやり方で産出されています。つまり、会話参与者は、場面や状況に特有の偶然性に対して常に注意を向けつつ、相互行為がどのように進行しているのか、また今この状況で何が起こっているのかに対する理解がその場の参与者にとって明らかになるような行為を産出しているのです。分析をする際には、分析者の理解だけではなく、参与者らにとって何が実践的課題になっており、それがどう対処されているのかが重要な視座になります。このこともおさえておきましょう。

 以上を通じてみてきたように、会話分析研究の主眼は行為の組み立て、あるいはそれを通じた会話という社会的活動のやり方の解明にあるのであって、言語そのものの仕組みにはありません。一方で、言語に対する関心から、会話分析について知りたいと思われた方も多くいらっしゃるでしょう。実際、会話分析は会話のやり方における言語の機能的側面(たとえば,文の構造や音韻など)を明らかにすることによって、言語学の領域にも貢献を収めてきました(Ochs, Schegloff & Thompson, 1996)。言語学の中で会話分析と同様に、実際の日常場面で行われている言葉のやり取りをデータとして使う分野として、談話分析(Discourse Analysis)があります。談話分析との比較でいうと、談話分析が分析の結果を言語の普遍的な機能として還元する(たとえば「○○という言語表現は△△という機能をもつ」)のに対して、会話分析はある相互行為上の「位置」に置かれた一定の言語表現を、行為のやり方として記述することを重視します。このように会話分析は、社会学としての方針を貫きながらも、言語学をはじめとした、言語やコミュニケーションに関わる様々な分野にも貢献しうる可能性をもつのです。(黒嶋 智美)

  1. サックスが考えていたもう一つのプログラムである、成員カテゴリー化装置(Membership Categorization Device)の分析では、グループセラピーに新たに参加するため到着したばかりの若者に対して、自己紹介のあと、すでにセラピーに参加していた者が「いま車について話していたんだ」と報告する発言が、セッションへの可能な「誘い」になっていることを論じています。これは10代男子というカテゴリーに結びつく「車について話す」という活動が記述され、同じ10代男子として聞き手を扱うことが適切であるためだとサックスは分析しています。この事例でも活動のどの「位置」でどんな発話「構成」(ここではカテゴリーの使用も含む)によって「誘い」がなされたのかが認識可能になっています。また、この発話がいかに「受け手に合わせた形でデザイン」されているかも見て取れます。

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4. エスノメソドロジーの国外における広がり(森 一平)

 エスノメソドロジー(・会話分析)は、まずはアメリカ西海岸――とくにUCLAを中心とするカリフォルニア大学のいくつかのキャンパスを拠点として発祥し、発展してきました。

 エスノメソドロジーの産みの親であり名づけ親でもあるハロルド・ガーフィンケルは、1954年にUCLAへと赴任してきました。出生の地であるニュージャージー州ニューアークの大学で会計学を学んでいる頃から抱いてきた独自の社会学的アイデアを、いくつかの大学を渡り歩きタルコット・パーソンズやアルフレッド・シュッツといった著名な社会学者たちと交流するなかで磨いていったガーフィンケルは、1953年に参加することになった陪審員調査のなかでそのみずからの発想を「エスノメソドロジー」という名のもとでまとめ上げるに至ります。

 コールマンやゴールドソープ、コーザ―などといった社会学者からは理解されず、何かと評判の悪かったガーフィンケルですが、UCLAにやってきてからはラディカルな志向をもった学生を中心に熱心な支持者を獲得していきました(そのこと自体がカルトであるとか学生を堕落させているといった批判を呼びこむ事にもつながったわけですが)。ガーフィンケルが自身の新奇なアイデアを徐々に形にしてゆき、ついには1967年に主著となる『エスノメソドロジー研究』を完成させるに至る背景には、そうした支持者たちとの交流があったのです。

 最初期からガーフィンケルと交流のあった第1世代のエスノメソドロジストにはエゴン・ビットナーやエドワード・ローズらもいましたが、なかでも大きな影響力をもったのはアーロン・V・シクレルでしょう。当時シクレルは別の教員の指導生でしたが、社会学における方法論(とくに社会的現実の「測定」の問題)への関心からガーフィンケルと交流するようになりました。

 1957年にコーネル大学での博士研究を終え、UCLAに戻りガーフィンケルとともにビットナーら第1世代のエスノメソドロジストを巻き込んだセミナーを組織したあとでシクレルは、1960年にリバーサイド校、1965年にバークレー校、1967年にサンタバーバラ校、1972年にサンディエゴ校と、カリフォルニア大学の複数のキャンパスを転々としていくこととなります。

 バークレー時代以降、生成文法や認知心理学への関心を強めていき、エスノメソドロジーから離れ「認知社会学」の立場を自称していくようになっていったシクレルですが、他方で後継エスノメソドロジストの育成にも多大な貢献を果たしました。バークレー時代にはサックス、シェグロフ、ジェファーソン、モアマン、スパイアー、サドナウ、ターナーといった著名なEMCA研究者たちの指導にあたりましたし、サンタバーバラ時代には60本もの博士論文を送り出しました。さらにサンディエゴ時代には、「特徴的な社会学部」の新設を任されていたジョー・ガスフィールドが積極的にエスノメソドロジストを雇用したことも相まって、ヒュー・ミーハンらとともに同校をエスノメソドロジー研究の1つの重要な拠点にまで鍛え上げていきました。

 こうしてアメリカ西海岸で産声を上げ、影響力をもちはじめたエスノメソドロジーはその後、まずは東海岸へと普及していきました。その鍵となったのはマサチューセッツ州のボストン大学であり、そこへ1968年に着任したジョージ・サーサスでした。サーサスは初期には小集団研究をしていましたが、ガーフィンケルの論文を読んで以降、EMCAに関心を寄せはじめ、ボストン大学に着任するとその地でボストングループと呼ばれるEMCA研究者のネットワークを構築しました。サーサスの他には例えば、後述するシャロックらの手ほどきを受けるなかでウィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの立場を磨き上げていき、その立場から「心」をめぐる実践について研究していったジェフ・クルターもまた、1974年にボストン大学へ着任し、同グループへと参加することになりました。

 アメリカ内部で西海岸から東海岸へと広がりを見せるのと同時期に、エスノメソドロジーは国外へも普及・展開していきました。いち早くそれが生じたのはイギリスのマンチェスター大学でした。そこで鍵となった人物の1人はウェス・シャロックです。1964年にシャロックがマンチェスター大学に赴任してきた当時の同僚にマックス・グラックマンという研究者がいましたが、彼は友人であったアーヴィン・ゴフマンを1966年から2年間研究員として同大学に招聘しました。過去にアンソニー・ギデンズからゴフマンの仕事について紹介されていたシャロックはこのときに行われた彼の講義に参加し、そこでガーフィンケルとサックスの仕事が興味深く語られるのを聞くとEMCAに関心を向けるようになりました。そしてシャロックは、ともに関心を共有するジョン・リーとともに、ガーフィンケルやサックスをマンチェスターに招いたり、近隣の大学の研究者と研究会を組織したりと、イギリスにおけるEMCAの普及・発展を先導していきました。なお、マンチェスター大学には1976-79年の3年間、後に著名な会話分析家となるゲイル・ジェファーソンも滞在したことがありましたが、彼女との交流のなかで会話分析を重点的に学んだジョン・ヘリテージは、エスノメソドロジーと会話分析の双方を視野に入れまた両者を架橋した数少ない入門書である『ガーフィンケルとエスノメソドロジー』を出版し、この本は世界中で広く読まれていくこととなりました(Heritage 1984)。

 その後EMCAはイギリスのみならず様々な国へと普及していきますが、それを決定づけたのが国際エスノメソドロジー・会話分析学会(IIEMCA)の発足でした。上述したボストングループにおける試みの1つとしてサーサスたちは1975年よりボストン大学でEMCAの夏期講座を開催しましたが、ガーフィンケルとサックスを招いて開かれた記念すべきその初回にIIEMCAの立ち上げが決まり、そこから毎年夏期講座が開かれるたびに準備が進められ、1989年,ついに正式に発足することとなります。これ以降、日本を含め様々な国で研究大会が開催されていくことになりました。

 現在ではアメリカ以外のいくつかの国でも、学会規模の国内組織が存在しています。その1つが日本で1993年に発足したこのエスノメソドロジー・会話分析研究会(JIEMCA)であり、その他には例えばオーストラリアでも2001年に同様の組織が発足しています(AIEMCA)。 (森 一平)

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5. エスノメソドロジーの国内における広がり(海老田 大五朗)

 前節で確認したとおり、エスノメソドロジーはアメリカ社会学発祥です。本節ではまず、エスノメソドロジーがどのようにして、どのようなものとして国内へ輸入されてきたのかを確認し、そこからエスノメソドロジー研究の国内の広がりについて概観していきたいと思います。

 1969年『社会学評論』に、ハリー・K ・ニシオと竹中和郎による共著で、「アメリカ社会学における現代的課題」というタイトルの論文が発表されます。この論文のサブタイトルが「民俗学的社会学方法と一般社会学方法との交錯」なのですが、「民俗学的社会学方法」に「エスノメソドロジー」というルビが振られています。ここでは、民俗学的社会学方法をシュッツによって基礎づけられたものとみなし、「参与観察」と対置することで、その異同を見出そうと試みられています。しかしながら、ここから議論が深化するわけではなく、本格的な議論は1970年代後半、山口節郎と加藤春恵子が、エスノメソドロジーの理論的な紹介をしたあたりから始まります。これらの紹介をまとめると、次のようになるでしょう。エスノメソドロジーは、いわゆるパーソンズ流社会学への疑問から立ち上がった、ジョージ・ハーバート・ミードの流れを汲むハーバート・ブルーマーらのシンボリック・インタラクショニズム、ゴフマン社会学、シュッツの流れを汲むピーター.L.バーガーやトーマス・ルックマンらの現象学的社会学などと並ぶ、アメリカ社会学の一潮流である、と。言い換えれば、パーソンズ社会学に対抗する「意味学派(=行為者の主体的な意味付与に照準する学派)」の1つとなるでしょうか。こうしたエスノメソドロジーの捉え方は、この後国内において、現象学的社会学との関連で議論され続けました。

 1980年代後半には、主タイトルに「エスノメソドロジー」が入る翻訳論文集『エスノメソドロジー―社会学的思考の解体』(山田富秋・好井裕明・山崎敬一訳.1987.せりか書房)が編まれます。同じ年に翻訳書『エスノメソドロジーとは何か』(ライター著 高山真知子訳. 新曜社)、その2年後には『日常性の解剖学―知と会話』(北澤裕・西阪仰訳.1989.マルジュ社)という翻訳論文集が出版されます。編著が刊行されることの前提には、エスノメソドロジーをただ他人行儀で紹介するだけではなく、エスノメソドロジー自体に立脚した研究者が国内に出てきたことがあります。

 エスノメソドロジーが海外から輸入されてからおおよそ1990年代前半くらいまで、国内のエスノメソドロジー研究の議論の中心は、「エスノメソドロジーとは何か?」ということでした。エスノメソドロジーは、1970年半ばより様々な社会学者から、数多くの攻撃的な批判を受けます。こうした国外での文脈もあり、国内におけるエスノメソドロジー研究としてとりかかった課題は、これらの批判の検討をするかたちで「エスノメソドロジーとは何か?」を議論し、「パーソンズ社会学に対抗する「意味学派」の1つ」という社会学史的位置づけでよいのかなど、様々な文献を参照してその研究プログラムを確認することでした。こうした確認は何度も立ち返りなされることとなり、現在においても絶えず繰り返される議論になります。

 1990年代になると、『語る身体・見る身体』(山崎敬一・西阪仰編著.1997年.ハーベスト社)のような録音録画データを扱う論文集や翻訳書も数多く国内で出版されるようになり、2000年代になると、『実践エスノメソドロジー入門』(山崎敬一編.2004年.有斐閣)、『ワードマップ エスノメソドロジー』(前田泰樹・水川喜文・岡田光弘編.2007.新曜社)、『エスノメソドロジーを学ぶ人のために』(串田秀也・好井裕明編.2010.世界思想社)、フランシス&へスターによる入門書の翻訳『エスノメソドロジーへの招待―言語・社会・相互行為』(中河伸俊・岡田光弘・是永論・小宮友根訳.2014.ナカニシヤ出版)といった、エスノメソドロジー初学者向けのテキストも出版されるようになりました。

 さて、現在の日本国内におけるエスノメソドロジー研究の広がりとして、日本国外における傾向と同様に、会話分析が「アメリカ社会学の新しい一潮流」といった枠を飛び越え、言語学や認知科学といった学問領域横断的な広がりをみせています。そうした会話分析の日本国内における広がりは第七節を参照ください。

 では、特に会話分析に限定されないエスノメソドロジー的な研究の、日本国内における顕著な広がりとしてどのような展開が見られるでしょうか。特に顕著な広がりとしては、差別問題をトピックとするような社会問題の解決にコミットした展開(たとえば山田富秋・好井裕明編著.1991年.『差別と排除のエスノメソドロジー』新曜社.など)がありました。他方で、心的現象を対象とした論理文法分析(西阪仰. 2001 年『心と行為―エスノメソドロジーの視点』岩波書店, 前田泰樹.2008年.『心の文法』新曜社.など)、ルーシー・サッチマンの研究の流れをくむような学習の状況論と親和的なエスノグラフィ的展開(川床靖子.2007年.『学習のエスノグラフィー』春風社.など)、教育分野における実践的な展開(たとえば秋葉昌樹.2004.『教育の臨床エスノメソドロジー研究』東洋館出版社.など)、CSCW(Computer Supported Cooperative Work:コンピュータに支援された協同作業)のような情報学的研究と親和的な展開(山崎敬一編.2006.『モバイルコミュニケーション』大修館書店など)など、その広がりは多岐に渡っています。

 こうした多岐に渡る国内のエスノメソドロジー研究の中心的な役割を果たしてきたのが、この「エスノメソドロジー・会話分析研究会」であるといえるでしょう。本会は1993年に発起人である山崎敬一らの主導のもと、設立されました。2017年現在、会員数は220名を超え、春の研究例会と秋の研究大会を中心に、セミナーの開催や研究会助成などの活動をしています。研究例会や研究大会では、EMCAの方法論にかんする研究、EMCAの学説史にかんする研究、ワークプレースにおけるプラクティスの経験的研究、相互行為の組織にかんする経験的研究、会話分析の経験的研究、成員カテゴリー化装置の使用にかんする経験的研究、EMCAにかんする批判的検討について、議論がなされています。(海老田 大五朗)

文献

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6. 会話分析研究の国外での広がり(川島 理恵)

 2014年に会話分析の発祥の地であるアメリカ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で開かれた第4回国際会話分析学会4th International Conference on Conversation Analysis (ICCA)では、世界40か国以上から集まった400人を超える研究者が発表を行いました。会話分析は、今やアメリカ国内だけでなく、イギリスを始めとするヨーロッパ各国、日本、中国や韓国などのアジア各国、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランドなど様々な場所で発展を続けています。会話分析を牽引している研究者たちがそれらの国において、セミナーなどの訓練の場をもち、言語学、社会学、心理学、人類学、医学、工学など様々な分野において研究者が育ちつつある状況です。ここでは、特に会話分析の発展が特に盛んなアメリカとヨーロッパについて簡単に紹介します。

 アメリカ、特にカリフォルニアが会話分析にとって非常に重要な場であることは、他節でも述べられていますが、そこでは会話分析の開拓者の一人であるエマニュエル・シェグロフが始めた会話分析の体系的な教育を学部・大学院レベルのクラスで行っています。会話分析の広がりという点でもカリフォルニア大学系列校、特にロサンゼルス校、サンタバーバラ校、サンディエゴ校などがその主な役割を果たしています。UCLA社会学部では、これまでジョン・ヘリテージ、スティーブ・クレイマン、ターニャ・スタイバースらが、医療やメディアの分野で研究を行い、会話分析の方法論としての可能性を広げつつあります(Heritage & Maynard, 2006; Clayman & Heritage, 2002; Sidnell & Stivers, 2013;) 。チャールズ、マージョリー・グットウィン夫妻も、言語人類学の立場から、相互行為において身体的な資源が使われる仕組みを解明してきました(C. Goodwin, 2000; M. H. Goodwin, 1990) 。

 サンタ・バーバラ校でもジーン・ラーナーやジェフリー・レイモンド,サンディ・トンプソンらが中心となって、会話分析における中心的トピックである相互行為の本質的な構造に関する研究が盛んに行われています(Lerner, 2004; Raymond, 2003; Thompson & Couper-Kuhlen, 2005) 。また、サンディエゴ州立大学では、ウェイン・ビーチを中心とするグループが腫瘍学(がん治療)のデータを長期的に収集し、告知や治療方針の決定などに関して会話分析的な研究を進めています(Beach, 2007) 。

 アメリカ国内には、ほかにもニューヨーク州立大学アルバニー校においてアニタ・ポメランツが日常会話の構造を解明するだけでなく、医療や法の研究も発展させています(Pomerantz, 1975; Pomerantz, Ende, & Erickson, 1995) 。またウィスコンシン大学マディソン校では、ダグラス・メイナードが医療場面における告知や社会調査、自閉症などに関する研究を進めています(代表的なものとしてMaynard, 2003) 。

 次にヨーロッパでは、初期からクリスチャン・ヒースやポール・ドリューらを中心として、イギリスが活発な議論の場になっています。ヒースは発話と身体の関連性についての研究で知られ(Heath, 1984)、ドリューは制度的な会話の構造性に着目し、様々な医療場面や司法関連の研究を進めています(Drew, 2003; Drew & Heritage, 1992) 。現在ラフボロー大学には、このドリューの他に、エリザベス・ストーコーらの会話分析研究者が多く在籍し、精力的に活動しています(Stokoe, 2012) 。ジェンダー研究においてもスー・ウィルキンソンやシリア・キッシンジャーが会話におけるジェンダーの具現化などについて活発な議論を行っています(Kitzinger, 2000 ; Wilkinson & Kitzinger, 2007) 。またフィンランドではアンシ・ペラキヤが医療場面における医師の権威に関する研究を発展させています(Peräkylä, 1998; Stevanovic & Perakyla, 2012) 。エリザベス・クーパークーレンらは、相互行為言語学の立場から様々な言語の特性に関して知見を示しています(Couper-Kuhlen, 2014)。ドイツやオランダのマックス・プランク研究所ではスティーブ・レビンソンが中心となって、会話分析を使って語用論的研究を精力的に進めています(Levinson & Jaisson, 2006)。近年はスイス・バーゼル大学のロレンザ・モンダダ、スウェーデン・ウプサラ大学のアンナ・リンドストローム(Lindström & Mondada, 2009)、ドイツ語研究所のアーヌルフ・デッパーマン(Deppermann, 2011)といった人々によって、ヨーロッパが最新の会話分析研究の舞台となりつつあります。そのことは国際会話分析学会(ICCA)の初回がデンマーク・コペンハーゲン、第二回がフィンランド・ヘルシンキ、第三回がドイツ・マンハイムといったヨーロッパ各国で開かれてきたことにも表れています。とくに相互行為における身体動作や人工物のはたらきを調べるマルチモーダル分析(Deppermann, 2013)のトピックにおいて、ヨーロッパの会話分析者は主導的な役割を果たしています。

 最後にここでは詳しく述べませんでしたが、この他アジア・オセアニア・南米などでも会話分析の研究が広がりつつあります。森純子(1999)、田中博子(2000)、林誠(2003)ら、国際的に活躍する日本人会話分析者も増えています。日本国内での会話分析の広がりについては次節を参照してください。(川島 理恵)

文献

  • Beach, W. (2007). A Natural History of Family Cancer: Interactional Resolutions to Medical Problems. Cresskill NJ: Hampton Press.
  • Clayman, S., & Heritage, J. (2002). The News Interview: Journalists and Public Figures on the Air. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Couper-Kuhlen, E. (2014). What does grammar tell us about action, Pragmatics, 24, 623-647.
  • Deppermann, A. (2011). The study of formulations as a key to an interactional semantics, Human Studies, 34(2), 115-128.
  • Deppermann, A. (2013). Multimodal interaction from a conversation analytic perspective, Journal of Pragmatics, 1(46), 1-7.
  • Drew, P. (2003). Precision and exaggeration in interaction, American Sociological Review, 68, 917-938.
  • Drew, P., & Heritage, J. (Eds.), (1992). Talk at Work: Language Use in Institutional and Work-place Settings. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Egbert, M. M. (1997). Schisming: The collaborative transformation from a single conversation to multiple conversations, Research on Language and Social Interaction, 30(1), 1-51.
  • Goodwin, C. (2000). Action and embodiment within situated human interaction, Journal of Pragmatics, 32, 1489-1522.
  • Goodwin, M. H. (1990). He-Said-She-Said: Talk as Social Organization among Black Children. Bloomington: Indiana University Press.
  • Hayashi, M. (2003). Joint Utterance Construction in Japanese Conversation. Amsterdam: John Benjamins Publishing.
  • Heath, C. (1984). Participation in the medical consultation: The coordination of verbal and nonverbal between doctor and patient, Sociology of Health and Illness, 6(3), 311-338.
  • Heritage, J., & Maynard, D. (Eds.), (2006). Communication in Medical Care: Interactions between Primary Care Physicians and Patients. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Kitzinger, C. (2000). Doing feminist conversation analysis, Feminism and Psychology, 10(2), 163-193.
  • Lerner, G. (2004). Conversation Analysis: Studies from the First Generation. Amsterdam: John Benjamins.
  • Levinson, S. C., & Jaisson, P. (Eds.), (2006). Evolution and Culture. Cambridge MA: MIT Press.
  • Lindström, A., & Mondada, L. (2009). Assessments in social interaction: Introduction to the special issue, Research on Language and Social Interaction, 42(4), 299-308.
  • Maynard, D. (2003). Bad News, Good News: Conversational Order in Everyday Talk and Clinical Settings. Chicago: University of Chicago Press.
  • Mori, J. (1999). Negotiating Agreement and Disagreement in Japanese: Connective expressions and turn construction. John Benjamins Publishing.
  • Peräkylä, A. (1998). Authority and accountability: The delivery of diagnosis in primary health care, Social Psychology Quarterly, 61(4), 301-320.
  • Pomerantz, A. M. (1975). Second Assessments: A Study of Some Features of Agreements/Disagreements. Ph.D. dissertation, University of California, Irvine.
  • Pomerantz, A. M., Ende, J., & Erickson, F. (1995). "Precepting Conversations in a General Medicine Clinic," in G. H. Morris & R. J. Chenail (Eds.), The Talk of the Clinic (pp. 151-169). Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum.
  • Raymond, G. (2003). Grammar and social organization: Yes/no interrogatives and the structure of responding, American Sociological Review, 68, 939-967.
  • Sidnell, J., & Stivers, T. (2013). The Handbook of Conversation Analysis. Boston MA: Wiley-Blackwell.
  • Sorjonen, M-L., Raevaara, L. & Couper-Kuhlen, E. (2016). Imperative Turns at Talk: The Design of Directives in Action. Amsterdam: John Benjamins Publishing Company.
  • Stevanovic, M., & Perakyla, A. (2012). Deontic authority in interaction: The right to announce, propose, and decide, Research on Language and Social Interaction, 45(3), 297-321.
  • Stokoe, E. (2012). Moving forward with membership categorization analysis: Methods for systematic analysis, Discourse Studies, 14(3), 277-303.
  • Tanaka, H. (2000). Turn-taking in Japanese Conversation: A Study in Grammar and Interaction. John Benjamins Publishing.
  • Thompson, S., & Couper-Kuhlen, E. (2005). The clause as a locus of grammar and interaction, Discourse Studies, 7, 481-505.

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7. 会話分析の国内の広がり(森本 郁代)

 三節で述べたように、会話分析はアメリカで生まれました。そして現在では、その発祥の地であるアメリカから、世界中の様々な国や地域に広がっています(詳しくは六節を参照してください)。その中で日本も、イギリス、フィンランドと並んで、多くの研究者を輩出するようになってきています。本節では、会話分析が日本に紹介されてから今日に至るまでの歩みについて、簡単に振り返りたいと思います。

 会話分析が日本に本格的に紹介されるようになったのは、1980年代末頃です。1989年に北澤裕、西阪仰両氏によって『日常性の解剖学-知と会話』が出版され、ジョージ・サーサスやハロルド・ガーフィンケルらによるエスノメソドロジーを紹介する論文とともに、ハーヴィ―・サックスのAn initial investigation of the usability of conversational data for doing sociology(邦題「会話データの利用法-会話分析事始め―」)とエマニュエル・シェグロフとサックスのOpening up closings(邦題「会話はどのように終了されるか」)の日本語訳が収められています。西阪氏は、当時から現在に至るまで、日本の会話分析研究をけん引する研究者であり、1992年には、好井裕明編『エスノメソドロジーの現実: せめぎあう〈生〉と〈常〉』 世界思想社に、「エスノメソドロジストはどういうわけで会話分析を行なうようになったか」 を寄稿し、1995年には『言語』24巻の7-12号に「連載〈会話をフィールドにした男〉サックスのアイデア」というタイトルで、会話分析の考え方と主要な知見についての紹介を6回にわたって連載しています。1999年には、会話分析の入門書がエスノメドロドジーとは独立に刊行されました。それが、好井裕明・山田富秋・西阪仰(編)(1999)『会話分析への招待』です。これ以降、日本語による会話分析の研究書や論文が数多く出版されるようになり、それに伴い、国内における会話分析の研究者も増えていきました。ただし、彼らの多くは、独学で会話分析を学んだか、もしくはアメリカやヨーロッパで会話分析を学んで帰国した人が中心です。このことは国内で会話分析を学べる機会がまだ非常に限られていることを意味します。

 八節で詳しく述べますが、会話分析は社会学の一領域として出発し、現在では、言語学、教育学、文化人類学、認知科学、第二言語習得、外国語もしくは日本語教育など、さまざまな隣接・関連領域に広がっています。その背景には、会話分析が、日常的な行為や活動を「当たり前に」行うのに利用されている人々の手続き・方法を明らかにできる強力なアプローチであるという理解の広まりと、実験的、統計学的な手法で得られたデータとは異なる観点から現象を捉えることができるという点に対する関心の高まりとがあります。1960年代にサックスが会話分析を創始して以降、その成果や知見が着実に積み重ねられてきていることも、会話分析に対する関心を高める要因となっています。そして、日本国内における会話分析に対する関心の広がりと深まりを概観する上で特筆すべき出来事は、社会言語科学会の学会誌『社会言語科学』の第10巻第2号(2008年)「相互行為における言語使用:会話データを用いた研究」の特集が組まれたことです。この号は、日本語で書かれたものとしては初の会話分析の本格的な論集であり、国内外から投稿された11編の研究論文を収めています。この特集号以降、この雑誌は国内の会話分析研究者の主な投稿先となっています。

 このように、日本国内での会話分析に対する関心が広がってきている一方で、会話分析を専門に学べる大学や大学院はまだほとんどないのが現状です。エスノメドロドジー・会話分析研究会では、「EMCAを学べる大学・大学院」で、エスノメソドロジーや会話分析が学べる大学や大学院の授業と担当者を紹介していますが、「会話分析」をうたった科目は非常に少なく、各大学・大学院のホームページ等で公開されている科目名称を見ただけでは分かりません。そのため、その科目の担当者が他の大学や教育研究機関に移ったり退職したりしてしまうと、その科目がなくなってしまう可能性が高く、欧米のように会話分析の研究者を育てる環境が整っているとは言い難いです。

 会話分析は書物だけで学ぶことが難しく、会話分析を長年行ってきた研究者とともにデータを見て分析するという経験を積み重ねることによって、データ分析の技術が身に付きます。そのため、エスノメドロドジー・会話分析研究会では、こうした機会を提供するために、年に数回、講習会を開いています。また、研究者の有志による集中セミナーや、海外から著名な会話分析者を招いたワークショップやセミナーなども積極的に行われており、多くの場合、参加者を広く募っています(ただし、密度の濃い内容とするために、人数が20名以下に限定される場合がほとんどです)。近年では、欧米で会話分析の本格的なトレーニングを受けて帰国した若手の研究者たちが、こうしたセミナーの開催や運営に携わるようになっており、国内でも会話分析のトレーニングを受けられる機会がさらに増え、それに伴って、会話分析を志す人のすそ野もさらに広がりつつあります。(森本 郁代)

文献

  • 北澤裕・西阪仰訳 (1989)『日常性の解剖学──知と会話』マルジュ社.
  • 西阪仰 (1992)「エスノメソドロジストはどういうわけで会話分析を行なうようになったか」好井裕明編『エスノメソドロジーの現実──せめぎあう〈生〉と〈常〉』pp.23-45, 世界思想社.
  • 西阪仰 (1995)「連載〈会話をフィールドにした男〉サックスのアイデア」『言語』24 (7-12)((1)「順番取りシステム再訪」(2)「物語を語ること」(3)「文の構築」(4)「隣接関係と隣接ペア」(5)「成員カテゴリー」(6)「やりとりのなかのアイデンティティ: ふたたび順番取りシステムへ」).
  • 西阪仰・串田秀也・熊谷智子 (2008)「特集「相互行為における言語使用: 会話データを用いた研究」 について (〈特集〉 相互行為における言語使用: 会話データを用いた研究)」『社会言語科学』10(2), 13-15.
  • 好井裕明・山田冨秋・西阪仰編著 (1999)『会話分析への招待』世界思想社.

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8. どんな領域の研究をしているのか(戸江 哲理)

 ここまで読まれてきたかたは、きっと「エスノメソドロジー・会話分析はほんとうにいろいろなことを扱って、いろいろな学問の領域と関係しているな」と思われたことでしょう。じっさい、ここまでの節でも挙げられていたように、エスノメソドロジー・会話分析はたとえば、社会学、人類学、心理学、言語学、第二言語習得、そして哲学といった、さまざまな学問の領域にかかわっています。そして、扱っている対象の領域もまたバラエティに富んでいます。おさらいというわけではありませんが、どんなことをエスノメソドロジー・会話分析が扱えるのかについて、この領域という観点から、最後に整理してみましょう。

 エスノメソドロジーは、日々の身近な一見取るに足りないように思えるふるまいから、高度に専門的な知識や技術が必要となる世界まで、幅広くその研究対象としてきました。日常的な行動としては、小説を読むとか、テレビを視るとか、道を歩くとか、行列に並ぶといったことについての研究があります。変わったところでは、ジグソー・パズルをするとか、ピアノを弾くというものもあります。

 また、専門的な世界の研究としては、エスノメソドロジーの祖・ガーフィンケルも取り組んだ、医療の世界や科学技術の世界についてのものがその代表といえるでしょう(医者に学者とくれば、宗教家はどうだろうと思うわけですが、チベット仏教の世界に入り込んで調査を行った人もいます。さらに言えば、法曹の研究もあって、こちらは日本でも比較的初期から研究に取り組んでいる人がいます)。これらの世界にかぎらず、働くこと、もしくは職場についての研究は、その初発からエスノメソドロジーの主なフィールドのひとつであり続けてきたといえます。さらに、ここにジェンダーについての研究を加えることもできるでしょう(これもまたガーフィンケル自身が取り組んだテーマでもあります)。

  こんなふうに、素朴で身近な日常生活から、複雑に入り組んだ専門的知識・技術の世界まで扱うところに、「どこにだって秩序は等しくあって、それらは等しく研究に値する」というエスノメソドロジーの発想を垣間見ることができそうです。

 会話分析のほうでも、医療についての研究はたいへん分厚い蓄積を誇っています。これは海外だけではなく、国内においてもそうです。日本のEMCAを牽引してきた研究者たちもこのテーマに取り組んできましたし、海外でトレーニングを受けた比較的若い世代の研究者たちもまたそうです。法律についても、ポール・ドリューのような代表的な研究者が法廷でのやりとりの研究に取り組んでいますし、日本でも裁判員制度が導入されてから、それにかんするいくつかの研究がなされています。さらに教育についての研究も長い歴史があります。とくにヒュー・ミーハンが行った、教師が質問し、生徒がそれに回答し、これを教師が評価するというやりとりの研究は、後進に大きなインパクトを与え、また広く教育社会学者たちの知るところになっています。日本でもこの種の研究は精力的に進められています。

 日本における会話分析のフィールドという意味で忘れてならないのは、第二言語習得、つまり日本語教育学における会話分析に対する関心と期待の大きさです。この分野でも研究が進みつつあります。さらに近年の動向としては、各種の接客業におけるやりとりの研究が盛んになりつつありますし、高齢者介護のための会議の研究、医療でも医師と患者のやり取りだけではなく、看護師と患者のやりとりの研究などがなされています。また、東日本大震災の後に、避難者とボランティアのやりとりを調べた研究(西阪・早野・須永・黒嶋・岩田,2013)が出たりもしました。

 さて、ここまで読まれたかたの頭には、次のような疑問が浮かんでいるかもしれません。「なるほど、EMCAは平凡な日常から専門的なことまで扱うらしいけど、それはどんなふうに役に立つんだろう」。これは確かに難しい問いで、EMCAの研究を行っている人たちの間でもコンセンサスは取れないでしょう。ただし、いくつかのそれなりに妥当な答えかたはできそうです。そのひとつを紹介しましょう。

 ガーフィンケルは、エスノメソドロジーはチュートリアルな性格をもっていると述べました。私なりに平たく言えば、エスノメソドロジーの論文を読むと、そこに書かれている世界を人々がどんなふうにつくりあげているのかを理解できるということです。「なあんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんね。でも、それはたとえば病院で働く人々が自分の日々の医療実践を見つめ直すきっかけになるかもしれません。日本語教師が留学生を教えるなかで感じている難しさを乗り越えるヒントをそこに見つけられるかもしれません。

 専門的な領域での研究でなくたって話は同じです。歩きかたの研究は目が見えない人の歩行訓練とかその研究に役に立つかもしれません。ピアノの弾きかたのエスノメソドロジーは、早く上達したいと思っている人たちにとって手引書(正にチュートリアルですね)になるかもしれません。現に、ジャズ・ピアノの教室を開いてしまった人もいるのです(彼の名はデイビッド・サドナウです。興味が湧いたかたはちょっと別のウィンドウで検索してみてください)。

 会話分析では近年、この「役に立つ」ということが前面に押し出されることも増えてきました。海外では『応用的な会話分析』(Antaki, 2011)と銘打った本が出版されたりもしています。日本でも、オウム真理教の内部で秘密裡に収録されたやりとりを分析した結果が、テレビのドキュメンタリー番組内で放送されたりもしています。あるいは、これを読まれているあなたが、このウェブサイトを覗いてみようと思われた理由も、ご自分が携わっている仕事に何かしら役に立つかもしれないと思われたからかもしれません。

 でも、そんなに結論を急がなくてもいいと私は思うのです。他の学問の領域がそうであるように、EMCAもまた、じっくりとそれと向き合うなかで徐々にその像が掴めてくるものだと思います。ここまで私たちが書いてきたことは、いわばその最初の像を提供することでした。ですから、これからさらに文献を読み、この研究会に参加し、研究を続けられながら、徐々にあなたのEMCA観をかたちづくってほしいと思います。ここまで読まれたあなたはもう、そのための最初の門をくぐり抜けているのですから。(戸江 哲理)

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謝辞
執筆にあたって千葉大学の西阪仰氏から貴重なご助言をいただきました。ここに感謝の意を表したいと思います。言うまでもないことですが、文責は全面的に各節の執筆者(エスノメソドロジー・会話分析研究会世話人)が負います。